薔薇と十字架 1
はいはい。ぼくちゃんです。霊統としての薔薇十字は、なぜ薔薇と十字架がシンボルなのか?
そう問われていたことがあった。その答えを記事にしてみよう。歴史的というより実践的視点も含めてみるが、あんまりブログ上では実践的な側面は出さないようにはしているのだがねぇ。
ブログ上で重視しているのはお笑い一応、研究者的スタンスというか。そっち方面だし。あんまり実践面だすと、「魔術師」としての側面がでちまうからなぁ。
それはあまりよろしくない。なので配分が難しいところが、ぽつぽつと。
端的に言うと、薔薇十字がひとつ霊的伝統においてシンボル化されたのは、キリスト登場よりもずっと古いんだ。というより、キリストの到来に備える道だった。十字架というものにしたところで、キリスト教の専売特許ではなく、そのカタチをシンボルとしていたのは古今東西、いくらでも例がみれられところだろう。
たとえば十字架を水平(二次元)的に観たとき、これは一種のマンダラなんだ。
中心にある<宝>へと至る四つの道を示している。「エデンの楽園も四つの川があり、中心の生命の木において合流している。これも曼荼羅である」(『忘れられた真理』ヒューストン・スミス)とあるように。
科学においても多分同様だと思うが、神秘学においても、最たるナゾの一つが、「時間と空間」の謎であるように、とりわけ空間(宇宙観)というものが、神秘的シンボルにおいては重要視されている。なぜなら空間=無限=神の概念と通じるからだ。
ゆえに空間の謎は、もっともディープな神秘のひとつといえる。
それを端的に示すのがまさにこうしたシンボルであり、十字はその最たるものなんだ。ブログ上で図示できなくて申し訳ないんだが、この十字を三次元的に現すとどうなるか?
普通の十字架ってさ、中心から上下左右、あわせて4本の腕があるだろ。(この場合、すべての腕の長さは等しい十字架と思っていてくれ)さらに中心点から、手前と背面にも立体的に伸ばして、6本の腕が伸びてると想像してくれ。
この書きかたでわかるかね?
この3次元、立体的になった十字架は、実に多くのことを表す。このことを前出のヒューストン・スミスという伝統的叡智を現代に復刻させた偉大な哲学・宗教学者がまとめているので、すこしずつまとめてみよう。そしてその上で、霊的観想で得られることなどを交えて記してみよう。
長くなりそうなんで、これは続く。つか、薔薇の部分に至るのは、いつだ。(藁
ま。そんな話だ。
・・・なんか、ひさびさにまともなシリーズ記事になりそうな予感?w
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