叡智と真理を探究する者のために

内観の章―ラストスパート編8

あんたたちー! 寒さに震えながら「よぉし、パパ、梅なんて見にいっちゃうぞー♪」なんてワケわからんハイテンションぶりを発揮していやがりますか。



そんなワケだか、あんなワケだけど、ほんとに終わりが近くなった『エソテリック・ティーチング』18章「内観」のお勉強しちゃうわよー!



というか、今回で終わりだ。いつもより少し長くなるが、根性で抜粋していくので、ぽまいらもきばって読み込めよ。




前回は内観を続けることで、やがてオレさまたちはサイキカル界で目覚め、自由に動けるようになり、それに伴いさまざまな能力が開花するようになる、というところまで学んだな。



続きだ。



「一人のパーソナリティーは「場所・時間」の世界に一時的に逗留している間、なぜ痛み、傷ついてきたのか、理解しなくてはなりません。欲望と本能に支配された肉体の中に生きているパーソナリティーは、マインドを正しく活用することによって、時間を費やす価値のある修養に取り組むことです。



そうすれば、かつて混乱と無秩序が支配していた場所にリズムとバランスを取り戻すことができるでしょう。そしてその時、自分の真の価値を感じられるでしょう。



この時、パーソナリティーは天地創造という計画における、自分の真実の位置づけを初めて知ることになります。すると、パーソナリティーは責任をもって周囲を見渡すことができるようになり、その神聖なる本質にかかわらず、自分が神聖なる贈り物である思考をいままでほとんど使うことなく、むしろ、ほとんど激情や欲望や不名誉な野心のために使ってきたことに気づくのです。



すでに述べたように、「場所・時間」の現象としての生命は、1つのものでありながら、真実の生命、内なる本質としての生命とはかなり異なっています。だから、人間は存在の世界に生きているパーソナリティーとしての自己を、理性と愛に満ちた永遠なる存在としての自己に同化させようとしていくのです。」




結局のところ、オレさまたちがこの時間・空間に支配される三次元空間になぜ生きるのか、という点をオレさまたちは理解していない。



生きていく上での苦痛や混乱は、すべてここから生じていると言えるんだ。だが、霊的な学問を学び、内観を通して「自分とは何か」という理解が進むことで、オレさまたちは「本当の自分」と出会い、この時空間に生きる神的な意味を理解していく。



それが、理性と愛に満ちた永遠なる自己への同化、ということになっていくんだ。


「しかし、内在するものを観ることによって私たちが前進していく時は、審判のように観るのではなく、みずからを全なる愛に調和させるべく行動するように心がけていなくてはいけません。全なる愛は、生命のあらゆる形態を取り巻き、包含し、すべてのものを引き寄せていくものです。



私たちは、高所から見下ろし、支配したり罰したりするような姿勢で人や物事に対するべきではありません。むしろ、彼らの問題を真に理解し、原因を見つけ、治療を施すことに純粋な関心を持つべきなのです。」


ここでも繰り返されるが、オレさまたちは自分自身を見つめるとき、客観的に見ればいいのであって、そこに罪悪感や後悔を伴わせる必要はない。むしろそうした自己憐憫は最悪の心の働きの一つだ。



おまいの中にある神的な輝き、理性を自己陶酔の泥沼に沈めてしまう。そして生暖かいその心地に、いつしか浸りきらせてしまうだろう。



オレさまのクチからは言いたくねぇんだが、抜粋に書いてあるんだから仕方がねぇから言おう。おまいらが自分を見つめて発見すべきは、眠っている全なる愛であり、生命の豊かさだ。



そして自分と他者に向ける癒す者としての眼差しだ。オレさまたちはみな、生きるために癒されなくてはならないものを持っている。



真理の探究者である私たちは生徒であると同時に教師であり、現在のパーソナリティーであると同時に、永遠なる自己認識・パーソナリティーでもあります。私たちの最も根底にある動機は、私たち自身の全パーソナリティーの浄化なのです。



正しい思考と瞑想によって、私たちは個人的な目的しか持たない“自己中心的な愛”(エゴイズムが鏡の中の自分を愛するような愛)と、無条件かつ普遍的、不滅の“真実の愛”とを区別できるようになり、後者に近づいていくことになります。



そしてそのことが、「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。」(新約・コリントの信徒への手紙一、15-33)という言葉の示す生き方に近づいていくことなのです。」
(アンダーラインはオレさま。こうした状態に進化することを色んなヤシが色んな言葉でいってるよな。)



以上で、「エソテリック・ティーチング」18章「内観」を終える。最終章なので、変な話だがこれから初めのほうに戻っていくことになるだろう。



だが、「内観」と呼ばれるメソッドにしてプロセスは、神秘学徒の基本にしてもっとも重要なポイントなので先にぽまいらと学ぶことにした。



何度か書いたが、神秘学実践編、エソテリックテクニックでも書いているようなテクニカルなメソッドも、すべからく本質は「内観」からのスピンオフとさえいえる。それほどコアなところでもある。



始まりであり、終わりともいえる部分だ。いいまで書いてきた記事、これから書くであろう記事、その凡てを忘れても、この一連の内観の記事だけは、折に触れて思い出してくれ。



では最後に、一日の終わりに行う内省について具体的な方法論をもう何度目かになるか忘れたが、記して終えよう。ここまでダスカロスの内観だったので、引き続き、メソッドもダスカロスに従おう。



「エソテリック・プラクティス」エクササイズ20 150~151pより抜粋する。

「日々の内省は毎晩、眠りにつく前の、潜在意識に入りやすいタイミングで行います。ベッドに座ってもいいし、眠ってしまわなければ、横になって行ってもかまいません。



完全にリラックスして、4:4のパターンド・ブリージング(オレさま注:息を「いち、にぃ、さん、しぃ・・・」と4拍吸って、「いち、に、さん、し・・・」と4拍吐く深い呼吸。)をはじめましょう。



まず、朝起きた時から順を追って、今日一日にあったことをすべて思い出しましょう。一つひとつの出会い、出来事をもう一度、見つめなおしてください。この時、自分自身や誰かを責めることなく、客観的な第三者の目で見つめることが大切です。



そして、慈悲と寛大な心を持って、自分自身に次のように質問します。



思ったり感じたりすべきでなかったことで、思ったり感じてしまったことは何か?

思ったり感じたりすべきだったことで、思ったり感じたりしなかったことは何か?

言うべきでなかったことで、言ってしまったことは何か?

言うべきだったことで、言わなかったことは何か?

すべきではなかったことで、してしまったことは何か?

すべきだったことで、しなかったことは何か?


(エソテリック・プラクティスが手元にないヤシは、この太字の部分を印刷して手元に置くことを勧めるよ。初めは見ながらじゃないと覚えられんだろ?)


内省の目的は、自分自身や他の人を責めることではなく(ましてや賞賛することではなく)、ただ公平な目で自らの思考や行動を観察することにあります。その上で、気づいた点から自らの言動を改めるようにしましょう。



こうして内省を続けていくと、だんだんと自分自身を観察することに熟達していきます。そしてやがて、道徳面においても、霊的、神秘的な人生の側面においても、成長を加速していることに気づくはずです。」




いやいや。


長くなっちまったぜ。



そんなわけで、以上をもってして、内観編を終える。



ま。そんな話だ。

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【Contents】

はじめに-最高のヒーリングの話

【内省編】
1.内省の効果として-内省で生まれ変わった男の話
2.理性で、潜在意識という畑を耕せ!
3.瞑想と内省との違い
4.基礎的内省の実践
5.内省の必要性としての補講

【ヒーリング編】
1.エーテル(気)を感じることから始めよう
2.エーテルの機能について1
3.エーテルの機能について2
4.エーテルの機能について3 基礎的プラクティス

【エソテリック・プラクティス】
1. 秘教のスキルとして霊的防御フィールドの構築
2. 1本の赤い薔薇を


【ヒーラーに向けて】

1.魂のセラピストたれ

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  • 加藤 { すみません、今の今迄コメントに気づかず失礼! >人知を超える知恵の賜物 そうですね。そのような叡智に敬意をもって向き合える心でありたいものです。 }
  • 市川康明 { エジプトの秘儀と薔薇十字団の関連を教えて頂いまして,有難うございます. 死後の世界の理解には,論理を超えた感性が必要であり,人知を超える知恵の賜物ではありますね. }
  • ポチ { とっても共感します。 キリスト教ではキリストに似る、であったり創造を完成させることがゴールですが、キリストは創造を完成させるために受肉と贖罪とその後の継続的な働きかけを行い、創造の完成は「(自我の束を含む)この社会」を指してるわけなので、社会運動に参画せざるを得ない。 それをキリスト教で一番端的に表現しているのがプロテスタントなんだろうと思います。 アメリカは理想と現実の狭間で矛盾だらね。でも彼らはだからといって理想を捨てることはありません。 }
  • 加藤 { いえいえ。お役に立てていたら幸い・・・! }

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