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閑話休題―昔の地球1

たまには、神秘学なデンパ話を。



さてさて。神秘学的には、地球は幾つかの転生を経ている。神秘学概論のネーミングに従うと、次のような時代だ。



土星紀―<熱>状態。このとき、地球はいわば熱のカタマリだった。生命というのは、基本的に「熱」を持っている。熱がないのは死だ。生命力の根源的な存在形式は、熱といえる。人間は物質としての身体の萌芽があった。しかし、物質体といっても熱的な生命力のカタマリ。ダスカロスの学派だとマールドゥクだったかな。確かそんな名称で呼ばれる熱のカタマリとしての地球の状態。



このとき、地球はまだ太陽と月を内包していた。内包といっても、太陽はすでに地球よりもデカい。太陽が地球をつつみこむようなカタチなんだが、それでも太陽は地球に内包された存在だった。






太陽紀―熱から何が生まれるか。それは気体だ。太陽を放出することで、地球は熱が下がる。このとき、地球には気体(風)が生まれた。人間存在は熱的な物質身体にエーテル体(風属性、風の大天使ラファエルはエーテルを司る)を付与された。そしてこのとき、次の段階の人間へと進化しそこねた人々から、動物存在が生まれた。



初めに人間があり、人間から動物が生まれた。神秘学ではそう考える。



そして太陽の分離後、月紀と名づけられた時代が来る。ここにいたり、さらに「水」の要素が加わる。地球は濃密なドロドロの液体成分だ。



水の要素が加わると、地球の生物たちも一応、個体的な身体を持ちうるようになる。水生生物が水中で生まれ育つにもかかわらず、丈夫な身体を持つのと同じだ。



この時代の古いイメージ記憶が、俗に言われるレムリア時代だ。大気は濃密で今日の空気とはとても呼べず、人間は魚的な身体で大気という海を泳ぐように移動する。動物たちも、今で言う恐竜たちのような姿をしたものたちだ。というか、その祖先だ。



堅い大地はなく、地のべすては湖沼地帯のようだ。そして、「熱い」。そうした時代の地球を少しイメージ的に考えてみたい。




とりあえず、ここまで。



ま。そんな話だ。






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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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