「スピリチュアル的に正しい」とき、本来人は、社会的・経済的に困らない。
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人は神さまに養われているって趣旨の記事
なつきち3.0です。
・・・単にマーケティング・経営学の大家ドラッカー博士の
マーケティング3.0をパクって言ってみただけですw
さて。
今度こそ人生を好転させる「正しいスピリチュアル」とは何か。
というテーマで「スピリチュアル的に正しい」とするなら、本来人は、社会的・経済的に困らない、というテーマだ。
というものだ。
元来、おれのメール講座の趣旨は、
忘れている人も多いと思うが、
「もしあなたが、今、人生の壁に突き当たり、悩んでいるのなら、役に立つかもしれない。
■これまで色んなスピリチュアルなセミナーを受けてきたけど、高いばかりでイマイチ効果を感じない。
■人生で次々と悩みにブチあたり、
■一向に上向く気配がない。
■どうも不運な目にばかりあう気がする。
■そもそも本当にスピリチュアルに
成長するとはどういうことか、
よくわからないし。
どういう方法論がいいのかもわからなくなってきた。
etc….
そんなスピリチュアルジプシーのために書かれたからだ。
結論から言うと、このメール講座は、今回はスピリチュアルな方法論だけでなくて、マーケティング・コンサルタントとしての知見も大きく反映させた。」
って内容。『復活の呪文』とかね。
我々は価値を提供する存在である
今回の話はさ、まあ別に本業がマーケターだからというわけじゃねぇけどもね。
一見余談のように入るとな、マーケティング3.0の世界に入ると、精神的価値を提供できるかということが問われると言われてんの。
機能的価値に重点を置いたマーケティング1.0
感情的価値に重点を置いたマーケティング2.0
精神的価値に重点を置いたマーケティング3.0
そのためスピリチュアル・マーケティングとも言われるわけ。
※日本のスピ系ビジネスの文脈の「スピリチュアル」ではなく、欧米の伝統的宗教の文脈的な意味での「スピリチュアル」(スピリチュアリティ)という使い方であることは重ねて言いたい。
別におれの時代がキター!!
とか言いたいわけじゃなくて。
3.0は、価値をともに創るということ。
すげー簡単にいうと、「世のため」になる企業活動か、ということが問われる時代になるということを意味している。
スピリチュアルな価値がなぜ社会に必要か
つまり、マーケティング的にもそういう時代だ、ということが分かるように、「スピリチュアル的に正しくない価値を提供する(売りつける)企業」は今後は生き残っていけないわけだ。
ちなみに、いま一部ネット系マーケターがスピ系とか癒し系を狩りにいって「月に●●円稼がせました!」とか言ってるけど。
あんなん思い切り、マーケティング2.0だからw
そういうの手法でブイブイ言い出したスピ系はいずれ滅びます(笑)
んで、経営学的にもそんなことを言っていた人がいるように、ガチンコでスピリチュアルに関心があるとしてこのメルマガを読んでいる人たちは、自分の生き方を振り返ったときどうだい?
今回のタイトル、「スピリチュアルに正しい」とき、本来人は、社会的・経済的に困らない。ってことについて。
では、ここから本題に入って
いこう。
「スピリチュアル的に正しい」とき、本来人は、社会的・経済的に困らないとはどういうことか
さて、そもそも論だけど、人が社会的・経済的に「もっと」を求めるとき、この段階でスピリチュアルな意味で往々にして間違った前提にたっている。
「もっとお金がほしい」
「もっといい生活がしたい」
「もっと○○があれば・・・」
おれたちはそんな「もっと」にとりつかれている。
とはいえ、経済的に困っていたり不足があれば、「もっと」を考えてしまうよな。
しかし、ここが分かれ道だ。
単純に「もっと」に基づいて動くのか。
いったん落ち着いて、自分の中に芽生えた「もっと」を見つめてみるのか。
スピリチュアルな意味で
正しいとは、
「エゴイズム」を大きくしない、
むしろ小さくしていくという意味だとが理解することができるんだ。
そんな状態とは、正しく「自己充足」を知っている状態に自分を導ける。
たとえばさ、
おまえさんの今もってる夢って、お金持ちになれば叶うものか?
社会的にもっとよい地位にいけば叶うものなのか?
もしイエスと答えるならば、本当にイエスなのか、
もっと分析する必要がある。
本来、人間が生きていくために
必要なものはすでに与えられている。
「空の鳥(とり)を見るがよい。
蒔くことも刈ることもせず、
倉に取りいれることもしない。
それだのに、
あなたがたの天の父は彼ら
を養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、
遙かに優れた者ではないか」
(マタイ6:26-6:27)
と、聖書にもある通りだ。
空気は与えられ、エーテルは与えられている。
そして動物たちは余計なもの(エゴイズム)が入らないからこそ、
必要な糧があることを疑わない。
はっきり言って、今余裕がある人が、他者に寛容になることは容易だろう。
しかし真に問われるのは、いま「ピンチ」なときだ。
今月の家賃、子供の学費、
家のローン・・・。
今、実際問題として、もしかしたらこの読者のおまえさんは、多様な支払いに追われているかもしれない。
そもそも、「もっと上質の食事や衣類や娯楽」には手が届かなく、なんとかもっと状況を改善したいと願っているかもしれない。
しかし、そんなときこそ、エゴイズムの「もっと!」を抑制し、思考のバランスをとることで、スピリチュアルに正しい在り方が見えてくる。
人によっては、それは今の仕事をがんばることかもしれない。
就職・転職活動かもしれない。
あるいは副業・起業かもしれない。
いずれにしても、正しい思考から生まれたものでなければ、自分の欲望を際限なく肥大させてしまう。
バランスを欠いたエゴイズムに隷属してしまう。
よくスピ系がいうような「宇宙はなんでも与えてくれる」これは実はとても危険なことなんだ。
一度生まれた欲望→思考型のエレメンタル(想念形態)は自己の目的を達成するまで活動を続ける。
しかも、この世界にはタイムラグがある。
本質的にその人に必要なものは今叶えられようが、三年後に叶えられようが、ありがたいものだ。
しかし、
それがエゴイズムの欲望に発するものだと、今の願いは、明日の自分には不必要で、
かつ自分を不幸にすることだってある。
そんな見極めが必要なんだな。
では一体全体どうすれば、天に養われ、社会的・経済的に困らないのか?
それが「正しい思考」というものを身に着けることを意味する。
そんな「正しい思考」もせず、潜在意識に願いをインプット!とかいう引き寄せ系のなんと浅はかなことか。
だが、正しい考え、つまりスピリチュアルに正しいとき、我々は天によって養われる。
さらにいえば、実はこの「スピリチュアル的に正しい」という状態が、「運気が開ける」という状態を生む。
人生の扉が次々とうまく開き、物事がスムーズに開いていく。
そんな体験を多くの人があるはずだ。
そのとき、「自分が在る」ことに疑いがない。
生存を疑うなんて夢にも思わない。
そしてもちろん、社会的・経済的に困らない。
野のケモノたちが自然に養われているように、人もまた自然に養われる。
さぁ、わが身を振り返ろう。
いま目の前に「困難」がある中、いまおまえさんは何をしようとしている?
さらなる欲望に向かって何かを為そうとしているのか。
それとも、正しく在ろうとするのか。
その差が、決定的にこれからを決めてしまうだろう。
スピリチュアルに正しく在るとき。
おまえさんは決して、
乗り越えられない壁に押しつぶされることはない。
そのことは忘れるんじゃないぜ。
ま。そんな話さ。
編集後記
補足
正しい富の在り方とは?
今度別件で「金銭に対するスピ系のよく言うこと」へ反論しようと思うがそれとは別に。
宇宙は望むだけ富を与えてくれる。
というのもよくスピは言うよな。
宇宙を潜在意識という言葉で言うのもよくきく。
しかし実際、ここを正しく考えるとは、のひとつの補足として。
簡単なのは職業人なら、自分の職種としての成功パターンをみればいい。
自分の職種の平均収入。
そこから2倍くらいが概ね、その環境で許されている在り方だと思って間違いがない。
間違いがないというより無理がない。
逆に言うと、そこを大きく逸脱すると、それは何かに無理している。
違反している。
アコギになっている。
という状態に陥ることになる。
昔の日本人はいいこと言うじゃん。
「足るを知れ」、と。
ま。そんな話さ。
「人生が変わる」「魂が変わる」8本のメールレッスン
~キミが幸せになっても、誰も困らない~
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伝統的神秘学を現代人の生きる力を爆発させるメソッドへと落とし込みました。
「人生を諦めない!」
と気力が溢れてきた8本のメールを公開しています。
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【コンテンツ一覧】
1. 人生は「そもそも論」で考えろ!
2. 欲求の階層を把握しろ!
3. 意識にコスモス(秩序)をもたらせ!
4. スピリチュアル・リンケージを生み出せ!
5. 1009回目のプロポーズ
6. 視覚化が未来を拓く
7. 自分の真の敵を知れ
8. もう一度、あなたが立つための力
追伸
本メール講座で「スピリチュアル・リンケージ」という概念を知り、身に着けてください。
(注!!)docomo,ezweb,softbankなどのケータイメール、とりわけicloudのメアドはマジで届かないです。。。
「スピリチュアル的に正しい」とするなら、本来人は、社会的・経済的に困らない。
釈迦、キリストがこれを否定したように、この考えが人類に悪影響になってることもあるから注意も必要ですね。
コメントありがとよ。
そうな。ただ、お釈迦さんの否定は地上的なものの全否定に思うが、イエスの否定は非常に解釈が難しいと思うよ。
時に貧困も癒すべき病として癒した形跡もあるからだ。
おれとしては「地上」の価値を初期仏教のように全否定はしないので、
シュタイナー的に「バランスをとるべき世界」と受け取っている。