自己喪失の罠ー権威への同調
はい、どーも。
おはようからおやすみまでぽまいらの暮らしの霊性を揺るがす男オレさまですが、
ぽまいらはいかが権威を盲信していやがりますか。
なんつーか、こう。
やっぱりアレだ。
たとえシュタイナーであれ、ダスカロスであれ、
もし目の前で寒いことを言おうものなら、
目の前で屁の一発でもかませるくらいの関係でちょうどいいと思うわけよ。
実際。
あ?
もちろん、オレさま、ちゃんと実践してきたぜ?
ダンに寒いこと言われた瞬間、
(-.-)y-~~~ ぷはぁ~と
と煙で顔面に攻撃してやったもんだぜ。(藁
・・・いや、さすがにこれは・・・と今思うと冷や汗もんだが。
若さゆえの過ちというか、調子ぶっこきすぎというか。(汗
えーと。なんだっけ。
今更言い訳したいんじゃなくて。
そうそう。なにはともあれ、権威には盲従するなと言いたいわけだ。
一方で、権威に「気に入られたい」「ほめられたい」と思う一心で、いつも同調すること言ったり、態度で示したり。
周りから見ると、どん引きなことでも平気でできるようになる。
一般の会社はもとより、すぴ団体もとくに顕著になる。
教祖? カリスマヒーラー? セミナー主催者?
そんなのに気に入られたい一心でさ。ネットカルトでもそんなとこあるよな。(苦笑
一方で主催者は「私は教祖でもなんでもありません。
みなさんと対等な友です(にこっ」
みたいな予防線はってみたり。w
仮に自分はそう本気で思っていたとしても、客・信者・とりまきはそう思わないわけだ。
ま。たいていは信者・とりまきの自分への過剰な好意、
彼らへの自分が持つ影響力を多少なりとも自覚しているんだけどよ。
ほんとは。(藁
親愛なる首領さまのお褒めのコトバをいただきたく、
せっせと気に入ってもらえることをしたりする。
「お師匠さまー! あいつ、どこそこであんなコト言ってたんですよー!」
「・・・けしからん。。よくぞ報告した、そちは愛いやつじゃ。これからもわしのために励むのぢゃ」
「はいっ!(キリッ」
なんてキモい関係性がいつの間にかリアル団体であれネットであれ出現する。
師にしたところで最初はまともであっても、
そんな風に自分を慕ったり、尊敬したりする取り巻きがいるのは気持ちがいい。
現代的すぴ系の連中なんざ、きびしくメンタル面を修行したこと
なんてありゃしねぇんだ。
双方ともに、あっちゅー間に堕ちていく。
負の連鎖だ。
教祖の寵愛を得ようとして堕ちていく様は、カルトの風物詩的な
光景とさえいえる。
もっとも、まともなスピリチュアルな師はそんなことにはならない。
たとえば、ダスカロス。自分を必要以上に崇め、
「執着」しだした弟子とはわざと距離を取るようなことはした。そして冷静になるのを待った。
決して自分に依存したり、権威にさせたり、ましてや崇拝するような関係性にならないように注意していた。
たとえば、シュタイナー。
人智学協会がそれなりに大きくなり、市井との距離を感じだしたとき、
むしろ幹部こそを退け、市民と交流した。
(たとえば労働者講義。幹部の参加は許されなかった。)
それが理性というものだ。
とくにスピリチュアルにかかわるのならなおさら注意しなきゃいけない。
一歩間違うと、個としての自立を奪い、理性を退化させ、霊性そのものを貶める。
そんな行為に気づかず突っ走っていく。
そんなとこばっかで、ため息でるぜぃ。
ま。そんな話だ。
まぁとりあえず押しておけ。いいことあるから。(藁
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