内観の章―ラストスパート編6
はい、どーも。夕飯前にちょいとおやつを食べたことを老人にように忘れて、「ぬぅ。体調不良でもねぇのに今日はなんかゴハンがあまり食べれない気がする・・・」と不思議に思っていたアルツなオレさまですが、ぽまいらはいかが夕飯食べたこと自体を忘れていやがりますか。
さて。そんなアルツなボケっぷりに進軍をとめられるほどオレさまは空気を読むヤシではないので、今日も今日とて内観ラストスパート編、続きに入ろう。
前回は、正しい思考でエレメンタルに対応していることを繰り返すうちに、正しい反応ができるようになる、というところまでだったな。
「欲望をコントロールする、よりよい方法は、後になればなるほど非活性化するのが難しくなる“強迫性のあるエレメンタル”の創造を、その発端でくいとめることです。
それには、まず、私たちの「自己認識―魂」(オレさま注:前回の記事参照)に対する畏敬の念を育てなくてはなりません。現在のパーソナリティーは霊的進化の道から逸脱しやすいものですが、自己認識―魂に対する畏敬の念を育てることによって、現在のパーソナリティを制御するパワーが魂から流れてくるようになります。
このようにして自分の光を強めていくと、最初は小さな光でも、やがてそれが私たちの周りの人々をも照らし、引き寄せるようになるでしょう。」
前回の記事のところで用語説明として書いたが、この「自己認識―魂」、とりあえず単純に「魂」としていいんだが、要はコレが神の似姿であるオレさまたちの本質な。神から分かれたばかりのときが、「霊―エゴ―存在」と表記するとも書いたよな。
で、これがまず「大天使のイデア」を通過して大天使となり、そこから人間として生まれることを選んだモノたちは人間のイデアを通過する。ここから、「自己認識―魂」と表記する形態の「魂」となる。
つまるところ、「自己認識―魂」への畏敬を育てるとは、自分の中にある本質としての「神」を認識することなんだ。自分の本質=神と思えば、そりゃ敬えるだろ? もっともこの点を実感し、畏敬の念を抱くには、訓練・学習がいる。
いきなり、「あなたのうちには神があるんです。それがあなたの本質です」なんていわれても、スピってる常套句にしか聞こえねぇ。ほんとに内なる<神>を信じ、それが自分であると感じるのは、理解を深めていかなきゃいけねぇんだ。
そして理解が深まり、「わかる」と、自然の畏敬の念も育つ。すると、本質部分とのパイプがクリアになり、表に出てくやすくなる。つまり、本文中の『現在のパーソナリティを制御するパワーが魂から流れてくるようになります。』という状態になるんだ。
「すると、ゆっくりではあっても、自分を取り囲む環境をサイコ―ノエティカル的にコントロールできるようになり、かつては常識的に不可能だと考えていたようなことも理解したり、行ったりできるようになるでしょう。
中略
力を得るごとに、自分の中に新たな誘惑が芽生えることを覚えておきましょう。私たちは常にそれらを突き放し、自分が正しい道を歩み、危険な道へと逸脱していないかどうか、確認しながら進んでいかなくてはなりません。
ここまでくると、私たちの内なる自己認識―魂は表面に出てきて、自らの表現を理解し、コントロールできるようになります。すると、理性を働かせる人は、現在のパーソナリティーだけではなく、「内なるエゴ」としての自分自身というものが、少しずつわかってきます。
“瞑想”の本質とは、おおよそ、このようなものです。」
ここに至ると、俗に言う「霊能力」的な力が、出てくる。霊性を高めることで発動する霊能力は、このプロセスを取るんだ。へんにチャクラに介入していくことはしない。内側から・・・自己の本質とつながることで、結果としてチャクラがクリアになり、美しく回転しはじめるんだ。
シュタイナーの行法と同じだ。内面的要素を磨くことで、結果としてチャクラが開発され、霊能に至る、というのは。呼吸法などを用いてチャクラに「外的な」介入はしない。もちろん、単純に霊能力開発ではそりゃ後者の方が簡単だ。
だが、それをしては、『力を得るごとに、自分の中に新たな誘惑が芽生えることを覚えておきましょう。』とあるように、相応しい精神を磨いていないと「誘惑」に抗えなくなってしまう。そして容易に「黒魔術師」の誕生となってしまうんだ。
じゃぁ、ヨガはどうなるんだ、と思うかもしれねぇ。本来ヨガの場合は、導師に対しての「帰依の道」なんだ。導師に全託している。言葉は悪いが簡単に言えば全面服従。
一度、自我というか自分を完全に棄て、完全に帰依する道だ。(シュタイナーが言う、霊的修行に必要な宇宙の諸力への帰依とは意味あいが異なる。)だから、「師の戒め」が安全弁として機能する。「お師匠さまの言うことは絶対です! 押忍!」みたいな。 そういう道だから、外的な介入の手段があっても許されるんだ。もちろん内面的な学びもフツーにあるしな。
(魂の理性が発達した現代人には、こうした道はもう適さないというのがシュタイナーの立場だが)
ゆえに、まともな霊性の道では、そうした特別な条件下でない限り、決して外的手段による霊能開発(チャクラ開発)の方法をとらない。
つまるところ、こうしたキリスト教神秘主義(あるいは、理性的に歩む霊性の道)における瞑想とは、「自己発見の道」といえるんだ。内なる宇宙に深く深く入り込んで、自己を探求する。そして今のこの「現在のパーソナリティ」と「内なる本当の自分」との距離を縮めていく。
神秘学実践編でも練習しているが、瞑想で肉体を内部から把握するように努めているよな。そのうち、サイキック体、ノエテイック体にもこの観察、内的把握は進んでいく。
自分で把握できる「自分」を少しずつ広げていく。「自分」がどんどん理性の光で開拓され、照らし出されていく。このプロセスの果ては、内なる自分―すなわち本質的に神と同質の部分――と出会い、「今の自分」と「内なる自分」が一つになることなんだ。
まずはここを目指して、オレさまたちは歩んでいく。
魔法使いのような高度な霊能力も、病める者を癒させる高次のヒーリング能力も、その道のプロセスにおいて自然に備わってくる。そうでなくては、救済力としての奇跡のごとき本当の力には至らないし、それに相応しい霊性も伴わないのだ。
道は長いが、ゆっくり歩いていこうぜ。
ま。そんな話だ。
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【Contents】
はじめに-最高のヒーリングの話
【内省編】
1.内省の効果として-内省で生まれ変わった男の話
2.理性で、潜在意識という畑を耕せ!
3.瞑想と内省との違い
4.基礎的内省の実践
5.内省の必要性としての補講
【ヒーリング編】
1.エーテル(気)を感じることから始めよう
2.エーテルの機能について1
3.エーテルの機能について2
4.エーテルの機能について3 基礎的プラクティス
【エソテリック・プラクティス】
1. 秘教のスキルとして霊的防御フィールドの構築
2. 1本の赤い薔薇を
【ヒーラーに向けて】
1.魂のセラピストたれ
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