“スピリチュアルとは何か”。その意味や方法論を探究するスピリチュアルブログ「魂の神秘学」―瞑想、瞑想方法、内省など多岐に渡って

潜在意識とスピリチュアルな進歩について

どーも。夏樹です。(今号は過去メルマガの加筆修正記事っす。)

さて。昨今ようやく春の気配を感じつつありますが、夏樹が春樹になることはありません。ないっす。春樹同様、おれも小説書きますけども。
(ファンタジー好きなアナタちゃんなら買いやがれーーー!! ここをクリック!!!!)

そんな春樹なノーベル文学賞を受賞候補への変身ならいつでも歓迎だけどね!! それよりも先にアニメ化して欲しいわ~。

あー、さてさて。

前のメルマガの内容で、サラっと書いたコトに関して質問が来たので回答したい。

前号で、自分のスタンスとして、

「まっとうなスピリチュアルな

 在り方としては、

 潜在意識を陶冶して、

 理性の光で照らし、

 潜在意識の領域を減らしていく」

と捉えているという旨を書いたわけ。さらっと。おれってイケてるわ~。

そして潜在意識に願いをインプットして、

願望実現をかなようぜ!

それだけですべてはかなってしまうぜ!!とかのたまうスピ系を全否定した。

 

全否定ね。もうね。ヌッ殺すくらいの勢いで否定してみた。

するとアレね。そこのところをもう少し解説してくれ、と質問というか、要望というかが来たわけ。来まくったワケ。

OK、承知した。あなたちゃんの要望、あたいが受け取ったワ!!

 

スピリチュアルとはそもそも何を目指すか。

一見迂遠だが、「スピリチュアルとは何を目指すものか」というそもそも的な問いから考えていくことが、質問に答えることにつながる。

んで、結論から言うと、スピリチュアルな歩みとは、

【現在の自分】

を高めていき、

【永遠の自分】

一体化することにある。

これが総合的な目標となる。

もっと簡単に言うと、自分をキレイにして、神さまと一体化すること。

 

このプロセスなんだ。

このプロセスの中には、思考と観察を通して、世界の仕組みを理解することや、人のために尽くせる力を養うこと、いろんな要素がある。

でも極論すると、自分をキレイにすること。ただそれだけ。自分の心を見つめて、思考・欲望をチェックして、分析していく。

 

 

人ってさ、無意識的にいろんな行動したりするよな。欲したりもそう。

 

つまり「無意識」に、振り回されている。欲望をコントロールしてないから、無意識的に湧きあがる欲望のドレイみたいなもんだ。その結果、自分の人生が欲望に振り回されている。

 

今、目の前にある結果に、まるで自分に責任がないかのように、喜怒哀楽、ジェットコースターのようだ。

 

 

でも、例えばマスターと呼ばれた人たち。覚者と呼ばれた人たち。

彼らは、どうだろう。

イエスでも、仏陀でも構わない。自分のイメージできる聖人を連想してみてくれ。

彼らは、いま自分の目の前のある結果に振り回されることがない。

彼らは、自分の言動がどんな結果をもたらすか、すべてわかっている。自分を完全に理解し、掌握し、その上で原因と結果、俗にいうカルマのことわりを理解している。

 

だから自分が何をしているのか。今日の思考、言葉、行動がどんな結果を創造するのか、すべて分かっている。それが、目覚めている、ということだ。
そしてその状態に至るには、自分の中に、「不分明」な領域があってはいけない。

すべてを理性の光で照らしていなくてはならない。

潜在意識、無意識とは、いわばブラックボックスなんだ。

スピリチュアルな道に取り組む者は、自己分析を通し、この潜在意識を理性で切り開いていくんだ。

ゆえにその道を歩いて遥か先まで至った聖人、目覚めし者たちには、「潜在意識がない」。

意識のすべてが“顕在意識だ。

だからイエス・キリストは、自分の言葉が、行動が、すべて現実になると知っていた。何をどうすれば、どうなるのか、分かっていた。

潜在意識という、ブラックボックスは、彼にはなかっんだ。

そして逆に言うと、ブラックボックスのまま、意識の力を利用しようなどという「暴挙」を彼らが選択することは決してなかったんだ。

 

まぁ、なんだね。

 

つまるところ、本来的な意味でのスピリチュアルな道ってのは、そんな風に自己を浄化し、潜在意識を理性で潜在意識、人格を陶冶していく道でもある。

ヘンなおまじないみたいな方法で願いを叶えてハッピー♪とか、2016年!今年こそはオーラを輝かせてモテ体質に♪みたいな欲望丸出しの世界じゃねーよって話。(笑)

まぁ、、そうは言ってもね。

まるで「じゃ清貧がいいのか」、みたいな極論になっても困る。(笑)

なので、そんな風に思う人は、下記のリンクから、「人生の復活の呪文」を読んでくれればいいよ。

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スピリチュアル的に、正しい願いの実現への取り組み方がある。

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コメント

    • ふらぐめんと
    • 2016年 4月 02日

    おひさしぶり~
    やっと仕事も落ち着いて新しいことも始めているようだね~
    倒れない程度に頑張って下さいまし(w

    今回のテーマは以前の私にはよく分からなかったんだけれど、
    今は、さみしいけれど大分分かるようになっちゃった。

    私の視点からだと下記のように解釈するんだけれどどうだろう?


    人間は生まれてから死ぬまでの間、成長と進化を交互に繰り返していく

    自由という側面から見ると、本能的な欲求や感情に支配された行動をする「動物的な状態」から
    やるべき事、為すべき事を考え、それに従おうとして行動していく「人の状態」に進化していく
    自律した個人=動物的な状態から自由になった個人になるように成長し、あるときを境に進化する。

    また別の視点から見ると
    自分1人では何もできない「赤ちゃん」の状態から、自分のことはできる「子供の状態」に進化し
    自分のことはもちろん、社会の中で役割を果たす、または果たさなければいけないという規範意識をもって行動できるようなる「大人の状態」に進化する。そして自分以外の存在を自分と同等以上に大切にすることができる「親(実際に親であるとは限らない)の状態」に進化していく。

    この2つの側面からみた成長と進化を延長していくと
    やるべき事、為すべき事という規範(律)は結局は世界の意志そのものにいきつくし
    愛情は自分の子供だけではなく全ての存在に対して感じるようになっていく
    そうなれば、己のなす事はすべて神の意志そのものになっていくし
    全てが愛の波動で包まれることになる。
    もちろん全てが意志のもとにあるのだから無意識など存在しない。
    望もうが望まなかろうがその方向にしか進化しないんだよね。

    つい最近なんだけれどね・・・突然、そのことが分かったよ・・・

    また、もう一つ重要な視点として
    そういった人の成長は連続的に進むのではなく
    経験を重ねながら一定段階まで進むと壁にぶちあたり
    その壁を乗り越えると全く違う状態に進化していくということを繰り返す。
    ということを思い出したよ。

    ルソーがエミールの中で「子供は不完全な大人ではない、子供という別個の存在である」として
    「子供」を発見したけれど、まさにそのとおりで、壁を乗り越えて進化する前と後とでは全く世界観が変わる。ゆえに大人の常識から子供を教育することはナンセンスだし、同じように親の状態にいたったものがその常識から大人を叱ることもナンセンス。

    教えや助言は常にそれぞれの段階に応じた視点から為されなければならないし
    結果もその範囲に限定される。
    より進化した状態に至るのは、そうやってその段階の限界まで成長した者が、その培った能力を使って多大な努力と苦悩のすえに自ら立ちはだかる壁を乗り越えた時にのみ達成される。
    そして、進化しなければいくら教えても永久に同じ問題を繰り返す。
    決して連続的には成長しない。
    だからといって、何度も同じ過ちを繰り返す者に怒りや憎しみを抱くのは間違っている
    例えば自分の子供が何度も失敗しても温かい目で見守って、正しい道や方法を
    教え続けるだけで、決して憎んだり怒りを覚えたりはしない。
    それは自分の子供だけではなく、本来全ての存在に対してそうあるべきで、
    自分の子供と他の存在で違う感情を抱く原因の方こそ直視しなければいけない。

    このことを思い出したよ。
    そして、それぞれの進化の段階と年齢とは無関係だということに気がついた。
    そのことによって、多くの悩みが解決してしまった・・・・

    さみしいものですじゃ・・・・
    こういうふうに思えるという事は
    もはや、その相手とは同じ場所に立っていないということだからね・・・

    • 加藤 夏樹

      おひさー。フラグメントはさすがだなぁ!

      今回のテーマは以前の私にはよく分からなかったんだけれど、
      今は、さみしいけれど大分分かるようになっちゃった。

      私の視点からだと下記のように解釈するんだけれどどうだろう?


      人間は生まれてから死ぬまでの間、成長と進化を交互に繰り返していく

      自由という側面から見ると、本能的な欲求や感情に支配された行動をする「動物的な状態」から
      やるべき事、為すべき事を考え、それに従おうとして行動していく「人の状態」に進化していく
      自律した個人=動物的な状態から自由になった個人になるように成長し、あるときを境に進化する。

      また別の視点から見ると
      自分1人では何もできない「赤ちゃん」の状態から、自分のことはできる「子供の状態」に進化し
      自分のことはもちろん、社会の中で役割を果たす、または果たさなければいけないという規範意識をもって行動できるようなる「大人の状態」に進化する。そして自分以外の存在を自分と同等以上に大切にすることができる「親(実際に親であるとは限らない)の状態」に進化していく。


      この段階って、マズローの欲求段階説とすげー対応してるな。

      1.「生理的欲求」
      2.「安全・安定の欲求」
      3.「所属と愛の欲求(社会的欲求)」
      4.「承認の欲求(尊厳欲求)」
      5.「自己実現の欲求」

      徐々に生理的、生存本能の欲求を満たしていき、
      社会的欲求を求める段階へと至り、
      そして五番目のスピリチュアルな段階に至る。
      さらにマズローは六番目も想定したらしいし、
      一説では七番目まで考えていたらしい。




      この2つの側面からみた成長と進化を延長していくと
      やるべき事、為すべき事という規範(律)は
      結局は世界の意志そのものにいきつくし
      愛情は自分の子供だけではなく
      全ての存在に対して感じるようになっていく
      そうなれば、
      己のなす事はすべて神の意志そのものになっていくし
      全てが愛の波動で包まれることになる。
      もちろん全てが意志のもとにあるのだから無意識など存在しない。
      望もうが望まなかろうがその方向にしか進化しないんだよね。


      まさにまさに、まさに!!
      >己のなす事はすべて神の意志そのものになっていくし

      ほんとこれ。おれたちの学派の言葉でいえば、
      自分の生き方、欲するもの、
      そのすべてが「神聖なる計画」に一致したあり方を示すことになる。
      ここを意識的に目指すのが、
      探究者の道だな、


      つい最近なんだけれどね・・・突然、そのことが分かったよ・・・

      また、もう一つ重要な視点として
      そういった人の成長は連続的に進むのではなく
      経験を重ねながら一定段階まで進むと壁にぶちあたり
      その壁を乗り越えると全く違う状態に進化していくということを繰り返す。
      ということを思い出したよ。


      ルソーがエミールの中で「子供は不完全な大人ではない、
      子供という別個の存在である」として
      「子供」を発見したけれど、まさにそのとおりで、
      壁を乗り越えて進化する前と後とでは全く世界観が変わる。
      ゆえに大人の常識から子供を教育することはナンセンスだし、
      同じように親の状態にいたったものが
      その常識から大人を叱ることもナンセンス。



      マズローの欲求段階ですらひとつ上に行くってことは、
      もう人生のステージがまったく違うレベルに行くことだからね。

      これまでとはまったく世界に生きることになる。
      世界観事態が変わる。
      変わらざるをえない。

      スピリチュアルな意味でなら、
      そこでひとつひとつ「イニシエーション」がある。
      多くのスピ好きが誤解しているのが、
      イニシエーションってのをへんな儀式的なものみたいなものに
      捉えている人も多い。
      そうしたものがあるのは確かだけど、
      本質は次のステージに移るための試練みたいなもので、
      それは個々の人生において現れる「壁」なんだよね。

      ちなみにだけど、
      それはこの世界を構成する元素である
      「地、水、火、水」にかかわるものとして現れる。



      教えや助言は常にそれぞれの段階に応じた視点から為されなければならないし
      結果もその範囲に限定される。
      より進化した状態に至るのは、そうやってその段階の限界まで成長した者が、
      その培った能力を使って多大な努力と苦悩のすえに
      自ら立ちはだかる壁を乗り越えた時にのみ達成される。
      そして、進化しなければいくら教えても永久に同じ問題を繰り返す。
      決して連続的には成長しない。
      だからといって、何度も同じ過ちを繰り返す者に怒りや憎しみを抱くのは間違っている
      例えば自分の子供が何度も失敗しても温かい目で見守って、正しい道や方法を
      教え続けるだけで、決して憎んだり怒りを覚えたりはしない。
      それは自分の子供だけではなく、本来全ての存在に対してそうあるべきで、
      自分の子供と他の存在で違う感情を抱く原因の方こそ直視しなければいけない。


      完全に同意できる内容だ。
      その見守りはたとえ親であっても人生のわずかな
      時間をともにするだけの一時的な存在なので、
      人間の個々の魂には守護大天使がともない、
      永遠ともいうべき輪廻をともにし、
      見守り、導き続けているんだけどね。

      でも人間も同様にあるべきで、
      たとえ親やあるいは教師でなくても、
      すべての人がすべての人に対して、

      だからといって、
      何度も同じ過ちを繰り返す者に
      怒りや憎しみを抱くのは間違っている
      例えば自分の子供が何度も失敗しても
      温かい目で見守って、正しい道や方法を
      教え続けるだけで、
      決して憎んだり怒りを覚えたりはしない。
      それは自分の子供だけではなく、
      本来全ての存在に対してそうあるべきで、
      自分の子供と他の存在で違う感情を抱く
      原因の方こそ直視しなければいけない。


      フラの書くようにあるべきなんだよね。
      たとえばおれはとても短気なので、
      そんな気を長く人を見守ることは、
      とてもじゃないけど難しいと感じてしまう。
      ならばそれは「正しく」あろうとしたとき、
      そうできていない原因があるはずなので、
      その原因を見つけなきゃいけない。
      短気だから、ですますのは、
      根本的解決から目をそらすようなものだからな。


      このことを思い出したよ。
      そして、それぞれの進化の段階と年齢とは
      無関係だということに気がついた。
      そのことによって、
      多くの悩みが解決してしまった・・・・

      さみしいものですじゃ・・・・
      こういうふうに思えるという事は
      もはや、
      その相手とは同じ場所に立っていないということだからね・・・



      いやいや、そんなことないさ。
      だったら、
      親や教師は、
      子や生徒とは同じところに立っていないのか、
      ということであって。

      「かかわり方」がある種変わるだけであって、
      かつて昔自分がいたステージ、
      あとにしたステージのものと別たれることでもない。
      とみに生きられないことでもない。

      むしろ、見方によっては、
      よりハードモードでの「かかわり方」が現れてくると思う。

      フラグメントはほんと、
      特別な探究も行も積んでいないと思うけど、
      日常生活から実に豊かな学びを引き出しているなぁ。

      それは「黄金の五つの鍵」と呼ぶものの「観察」が
      並はずれてできている証拠なんだと思う。
      (黄金の5の鍵:https://www.daskalos.jp/351teaching/361key.html)


      なんつーか、
      「教師」として活動する日がくるのかもね。


      しかし。
      最近フラに連絡してねぇなぁと思ったタイミングで書き込みがあるとはさすがだw

      このフラの書き込みいいな。

      この対話、メルマガに使っていい?
      読者とシェアしたい。

    • ふらぐめんと
    • 2016年 4月 03日

    >マズローの欲求段階説

    勉強したことが無いので安易には言えないけれど、
    私の場合は自由と愛という側面から考えているので欲求とは違うんだけれど・・・
    強いて言えば欲求=欲したいという気持ちの段階は子供の段階にカテゴライズされるかな

    大人以降の段階で私が考えているのは「欲求」ではないんだよね
    むしろ義務感に近い
    そして愛の段階に至ればそれは欲求でも義務でもない
    ただただ自然な状態なんだよね

    欲求という、何かを欲したいという側面は確かに紹介されたとおりに成長していくと思うけれど
    そこから先は欲したいという気持ちを越えたところにある成長進化だと思う。

    >それはこの世界を構成する元素である
    「地、水、火、水」にかかわるものとして現れる。

    マジ?それは気がつかなかった。

    >「かかわり方」がある種変わるだけであって~

    そうよ~それがさみしいのよ
    なぜなら、同じ立場で相談したり、自分が下の立場で甘えたり
    そういう相手がいなくなっちゃうんだもの(泣
    要するにおいらが甘えたいだけ・・・
    まぁ、最初からそういう存在ではなかったんだけれど、
    一時の夢すらみれなくなったね~

    >特別な探究も行も積んでいない

    うん。なにもしていないよ。
    敬愛するお釈迦様の言うとおり日々の全てが学びでやんす。
    探求や行を否定しているわけではないよ
    探求や行で成長するのが効率的な人もいれば
    日常にいる方が成長しやすい人もいる
    それは人それぞれだと思うし
    探求や行が必要な人にはその道に至るように人生が設計されていると思っている
    もちろん逆らうこともできるけれど、
    逆らうことが不自然に感じるような道がね

    >それは「黄金の五つの鍵」と呼ぶものの「観察」が
    並はずれてできている証拠なんだと思う。

    いや・・・ぜんぜんできてないと思いますぞ。
    ただ、そこに空気があって自然に呼吸しているのと同じように
    神の存在を自然に感じるし、全てが学びに繋がっていることも感じる。
    だから、常に学びの意味を知ろうとしているし
    なにか問題が起きたり壁にぶちあたった時も
    他人のせいとは考えず自分の方の問題として考え対処するくせが付いている。
    神様だったらどう考え、どう対処するのだろうという視点が
    心の中心に常にあるので、学びを得やすいのではないかな。
    人生に対する心構えが違うだけだと思うよ。

    >なんつーか、
    「教師」として活動する日がくるのかもね。

    具体的には何もないんさ。
    でも、同じ事を私も感じてはいるよ。
    教えるべき立場に立ってしまったのかもしれないという感覚はある・・・。

    >この対話、メルマガに使っていい?

    どうぞどうぞ
    というか個人的にメールした内容でないものは
    最初から公開されているから、何も気にしなくて良いですよ。

    • 加藤 夏樹

      >マズローの欲求段階説

      勉強したことが無いので安易には言えないけれど、
      私の場合は自由と愛という側面から考えているので欲求とは違うんだけれど・・・
      強いて言えば欲求=欲したいという気持ちの段階は子供の段階にカテゴライズされるかな

      大人以降の段階で私が考えているのは「欲求」ではないんだよね
      むしろ義務感に近い
      そして愛の段階に至ればそれは欲求でも義務でもない
      ただただ自然な状態なんだよね


      まあこの説をあてはめたのは、
      人間、環境含め内的に進化すると、
      その証として欲求それ自体が高度になっていく、
      ということの傍証としてね。

      欲求という、何かを欲したいという側面は確かに紹介されたとおりに成長していくと思うけれど
      そこから先は欲したいという気持ちを越えたところにある成長進化だと思う。

      そんなもんだから高度になっていくほど、
      人の欲求=愛と呼ばれるものと合致する状態になっていくんだ。


      >それはこの世界を構成する元素である
      「地、水、火、水」にかかわるものとして現れる。

      マジ?それは気がつかなかった。

      露骨に火事や地震をイニシエーションとして体験するというのなら
      わかりやすいんだけどね。(笑)
      実際そういうのもありますw

      >「かかわり方」がある種変わるだけであって~

      そうよ~それがさみしいのよ
      なぜなら、同じ立場で相談したり、自分が下の立場で甘えたり
      そういう相手がいなくなっちゃうんだもの(泣
      要するにおいらが甘えたいだけ・・・
      まぁ、最初からそういう存在ではなかったんだけれど、
      一時の夢すらみれなくなったね~


      なるほど。
      それをさみしさと表現するか。(笑)

      ・・・・

      進級するのをさみしがってどうするw


      >特別な探究も行も積んでいない

      うん。なにもしていないよ。
      敬愛するお釈迦様の言うとおり日々の全てが学びでやんす。
      探求や行を否定しているわけではないよ
      探求や行で成長するのが効率的な人もいれば
      日常にいる方が成長しやすい人もいる
      それは人それぞれだと思うし
      探求や行が必要な人にはその道に至るように人生が設計されていると思っている
      もちろん逆らうこともできるけれど、
      逆らうことが不自然に感じるような道がね


      そうそう。そこはひとぞれぞれ。
      人それぞれに道は用意される。
      おれはそれをカルマと呼ぶww

      >それは「黄金の五つの鍵」と呼ぶものの「観察」が
      並はずれてできている証拠なんだと思う。

      いや・・・ぜんぜんできてないと思いますぞ。
      ただ、そこに空気があって自然に呼吸しているのと同じように
      神の存在を自然に感じるし、全てが学びに繋がっていることも感じる。
      だから、常に学びの意味を知ろうとしているし
      なにか問題が起きたり壁にぶちあたった時も
      他人のせいとは考えず自分の方の問題として考え対処するくせが付いている。
      神様だったらどう考え、どう対処するのだろうという視点が
      心の中心に常にあるので、学びを得やすいのではないかな。
      人生に対する心構えが違うだけだと思うよ。


      もうさ。
      フラも探究者の道にちまえよw
      そのほうが効率的だろww


      >なんつーか、
      「教師」として活動する日がくるのかもね。

      具体的には何もないんさ。
      でも、同じ事を私も感じてはいるよ。
      教えるべき立場に立ってしまったのかもしれないという感覚はある・・・。


      今度講師として招へいするかなーw


      >この対話、メルマガに使っていい?

      どうぞどうぞ
      というか個人的にメールした内容でないものは
      最初から公開されているから、何も気にしなくて良いですよ。



      ありがとう!
      適時引用して使わせてもらうよ~。

    • ふらぐめんと
    • 2016年 4月 05日

    >イニシエーション

    そういえば・・・
    以前から、こういう階段を上るような状況の時って
    熱出して寝込むんだよね。
    なんとなく浄化されてるような感じがしてたんだけれど、
    これって関係あるのかね?
    ちなみに今も絶賛発熱中~(涙

    >フラも探究者の道に~

    まだ時期じゃないかな~
    将来的には分からんけど
    私の場合、探求が目的ではなくて、
    「自分と自分が目にする周り全てが
    どうしたら穏やかで幸せに生きられるのだろう」
    というのが目的なので
    自分自身が火中にいたほうが効率的なのよ。

    昔(前世も含めて)からよく言われたことは
    「あなたのような人に私の苦しみは分からない」とか
    「あなたのようになんか考えられない。神様と結婚すれば良いじゃない」とか
    その他もろもろ・・・
    要は「雲の上にいるような人には地上の地獄なんか分からない」
    という意味合いなんだけれどさ。
    だから、今生では同じ地平に立って、
    同じ苦しみの中に身を置いて、同じ泥沼の中にある者として
    それでも階段を上っていける事を示し、いっしょに歩みたいと願って生まれたというのもあるんでさ。
    (ちなみに、その姿勢で臨むと、今度は
    「あなたのように人間ができていないので無理」とか言われます。苦笑)


    ただ、今回の「気づき」はそういった今生の根本的な姿勢をも覆すものなので
    ここから先どうなるかはよくわかんないんだけれどね・・・
    実際今回の気づきに基づいてある人への接し方を変えたら
    その方がお互いに全然良い方向に進んでいるしね・・・

    泥沼の中に身を置いて、そこから今回の気づきに至ったからこそできるものだから
    まぁ~本当に人生はよく仕込まれてるよ(苦笑)

    >今度講師として招へいするかなーw

    まだまだ無理ざんす
    いまやっと道に向かって立ち始めたところだから。
    というか、オレ様みたいな霊的な方面の見識は無いってば(w

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