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人はなぜ一生懸命に生きていかねばならないのだろう?

 

あー。ども。カワイイあのコのハートにヘゲモニーを打ち立てろ!


エセ国際政治アナリスト夏樹です。とはいえ今回の記事では国際政治を語りません。

読者からの質問回答のメルマガがあったのでそれを加筆して記事にします。


そしてその問いが、表題の通り。

 

「人は、この世で、なぜ頑張って生きつづけないといけないか?」

 

というものだ。うーむ。どストレートだな、おい。そういうのはもっとマジメなヤツに言ってくれよって気がしないでもない。ぐぬぬぬ。まぁいいけどよ。

 

んで、この質問をするにあたり、質問者は、まずは自分のスピリチュアルな理解として、

 

・この世でしか神様に近づく修行ができない。


・あの世で何百年か待機して、やっと神様からもらえた修行のチャンス。


・死ぬまで、生き続けて、成長することが大事!


・自殺は神様との約束を一方的に破棄し、周囲の人に悲しみを与える最悪な行為。

(一部、質問者原文を編集)


と考えている。概ね、その通りというかニュアンスは違えども、別にとくにそこに反論はない。


厳密には、あの世でも現世ほどではないにしろ、近づくための成長は可能だ。まあ、そのめにも、地上における修行で「第一歩」を踏み出しておく必要はあるんだけどさ。

 


ただ、何百年も待機して・・・ということはない。シュタイナーは、大よそ1000年に1~2度ほど輪廻すると考えたようだが、それは間違いだ。個々のカルマに応じるので、サイクルは個人差がはげしい。ケースバイケースとしかいいにくい。一般論に落とし込むのは困難だろう。

 

 

 


質問者の言う、なぜがんばって生きねばならないか、という問いは、そう努めなくては、人は幸せにはなれないからだ。性質上ね。ただその「がんばる」とか「まじめに」とか「一生懸命に」という方向性が、「神様へと歩み寄る」という方向性に向かうために努力という前提だけどね。

 

 

結論から言ってしまうと、

「神は、神になるために人になった。」

 

という東方キリスト教の公理の通りなんだ。

結局、宇宙のゲームはこれに尽きるのさ。

 

 

なぜ自殺がダメなのか


で、ふたたび質問者の内容に戻るが、

質問者は、自殺は神様との約束を破棄するからダメなこと、とある。もちろん、神様と約束したというのは、ご本人も比喩として使っているのだろう。


要は、何かしらの計画を破棄したのが悪いのだ、と。

 

だが、極論を言うと、「悪」くはない。ただ、自殺をするというのは、普通はよほど思い悩み、精神的に追い詰められている。そんな状態で自殺すると、死後もそのときの想念に捉われる。つまり生前感じていた「地獄」を自ら産みだしてしまうのだ。たまに、心霊番組とかでもあるだろ?


ある自殺の名所を撮影したら、自殺を繰りかえす写真が写った。

何度も何度も、霊が影から飛び降りている。

etc…


そんな世界(地獄)に捉われる。


そう。これが地獄だ。


地獄とは、死んでいることに気づかず、生前の思い込みに捉われ続ける状態に他ならない。


地上の時間でいえば、気が付かなければ、1000年、2000年と無為にしてしまうのだ。

だから、悪なのだ。

中には、集団で同じ領域を作り出し、戦争を継続している・・・というケースもある。あの世で、死なないことをいいこと(?)に、無限に殺しあうループだ。

 

だが、ついでに行っておくと、生まれたときに個々ついてくる守護大天使は、そんなときでも、ぽまいらを見守り、あくまでも本人が自力が気づき、成長できるように、ギリギリのサポートをしている。神の一人子たる人間が、永遠に罰せられることも、見捨てられることは、決してないのだ。

 

 

七つの約束

そして最後に・・・

ダスカロスの「7つの約束」を知っているだろうか。


神というより、「自分」に約束する、霊的成長の指針のようなものだ。


この2番目に、


「いつどこにいても、私には 「神聖なる計画」

 に奉仕する準備ができています。」


というものがある。

キリスト教では、神の経綸といったりする、「神聖なる計画」。

 

それはいったいなんだろうか。


それはつまりは、神から生まれた被造物のすべてが神のもとへ帰還する潮流のことだ。

人間だけを観れば、一人ひとりがテオーシス(神との一体化)をすることだ。

そのために自分も磨き、人にも奉仕する。


それが、神の計画に合った正しい在り方を意味する。

 

おれたちは少しずつでも、そんな在り方ができるようにしていかなくてはならない。そんな風に書くと義務のようにも感じるが、結局はこのような「神聖なる計画」に沿った生き方が、人が本当の幸せを感じて成長し、生きていくための道なのだから。

 

ま。そんな話さ。

 

 

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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
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  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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