叡智と真理を探究する者のために

キリスト者とは?

はい、どーも。そんなわけでクリスマスネタをもうひとつ。



「クリスチャンとは誰か?」というコトについて簡単に。



ダスカロスは生前よくこういうコトを言っていたそうだ。「熱狂的(狂信的、教条的)なクリスチャンよりも、理性的な無神論者のほうが神に近い(クリスチャンだ)」と。同様の文脈で、キリストを信じておらず、仏教徒であっても、本当のクリスチャンがいる、とも。



つまるところダスカロスにとってクリスチャンとはキリスト教を信仰し、洗礼を受けたかどうかなんて関係ないのだ。人として正しく、優しく、愛を表現して生きているということ。



昨今のスピ風で言えば、「どれだけキリスト意識を体現しているか」ということになるわけだ。



こういう思考ができるというのは、非宗教者にとってはわりと抵抗感はないと思うんだがね。オレさまは既存宗教の中では、いわゆる神秘主義、神秘学派が好きなのは、神秘学派でなくてはこうした本質的な捉え方をしていないからだ。



本物の宗教とその教えは、極論するともはや神秘主義の中にしか見出されないとすら思っている。逆に言えば、神秘学派ならば仏教(つまり密教)、ユダヤ教(カバラ)、イスラム教(スーフィズム)においては普遍的な教え、「神」へと至るプロセスを提示する道が見出される。



そうしたワケでオレさまは「神秘主義」に生き、神秘学徒と称しているのだが。



いま、ぽまいがどのような主義主張でいるか。信仰を持っているか。それはまったく関係がない。その上でオレさまは言おう。



おまいが、『クリスチャン』でありますように。



魂の深みにある神性さは決して損なわれることはない。それは正しく発見され、発露されることを待っている。人はただ、それをおのれのうちに見出していけばいいだけなのだ。



その輝きを顕すものをオレさまはクリスチャンと言おう。



願わくばぽまいらとオレさま自身も、そうありますように。



薔薇の十字架にオレさまはそう願う。




ま。そんな話だ。





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はいはい。そんなワケで。オレさま主催の『神秘学講座 基礎編』の案内だ。


↓ここ見ておくんなまし。参加してみっか、という奇特なヤシはどうぞ。


神秘学講座 基礎編 参加要綱はこちら


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「ということは、人間的にデキたあの人は、先祖代々浄土真宗らしいけど、そういう意味で“クリスチャン”といえるのね」なんて思ったら、ぽちっとな♪ 

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  • 加藤 { すみません、今の今迄コメントに気づかず失礼! >人知を超える知恵の賜物 そうですね。そのような叡智に敬意をもって向き合える心でありたいものです。 }
  • 市川康明 { エジプトの秘儀と薔薇十字団の関連を教えて頂いまして,有難うございます. 死後の世界の理解には,論理を超えた感性が必要であり,人知を超える知恵の賜物ではありますね. }
  • ポチ { とっても共感します。 キリスト教ではキリストに似る、であったり創造を完成させることがゴールですが、キリストは創造を完成させるために受肉と贖罪とその後の継続的な働きかけを行い、創造の完成は「(自我の束を含む)この社会」を指してるわけなので、社会運動に参画せざるを得ない。 それをキリスト教で一番端的に表現しているのがプロテスタントなんだろうと思います。 アメリカは理想と現実の狭間で矛盾だらね。でも彼らはだからといって理想を捨てることはありません。 }
  • 加藤 { いえいえ。お役に立てていたら幸い・・・! }

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