魂の営みに、一貫した筋を通さないと、何も成しえなくなる。
情報過多な一般人の皆様こんばんわ。
ぽまいらはいかが日々移り気に思考やら欲求やら注意力を
とっちらかして散漫になっていやがりますか。
思考、意志、集中力。
かような精神の力は、当然だが、何かをなすときには
集中して用いれば用いるほど、達成は早い。
ところが、現代人というのは、
実はこれ、ほとんど「反射して」生きているだけだ。
慌ただしく追われる毎日の日々。
家事やら育児やら日々の仕事。
テレビから日々流される娯楽やら報道情報。
気がつけば、もう就寝時間。
「あー、今日も疲れた」
と、寝て起きてを繰り返す。
一体、この中に本当に主体的に、
「魂の力」を用いてなしたことがあるのたろうか。
とくに仕事していたら、
「そんなことはない、主体的だ」と反論もしたくなるだろう。
しかし、一方で、受け身姿勢ばかりで、ほんとに考える行為をしておらず、
気がついたら若年性認知症、なんて症状も増えている。
試みに、題材はなんでもいいから、
五分間集中し、論理的に考えてみるといい。
対象についての以外の思考が入ってくることを完全に拒否しようという姿勢で。
思いの外、難しい。
というより、限りなく不可能だ。
何かについて思考を巡らせた瞬間、そのわきではすぐに別の「刺激」へと
移ろうもう一つの泡沫的思考がいくつもいくつも明滅するように、生まれていく。
現代人の思考は、環境のせいもあるが、
それほど騒々しく、まともまりもなく、浅い集中度のないものばかりだ。
そんな頭と心の状態で、いったい何ができるのだろう。
この地上にあふれるものは、すべて、人の思考から生まれたのだ。
魂の営みとは、思考・感情・意志の働きのこと他ならない。
この働きを意識的にコントロールし、
適切な対象に、必要なだけ、集中する。
それができないと、人はあるとき、
ふと振り返って思うのだ。
「おれの人生、なんだったのかな・・・」
魂の営みに、一貫した筋を通す。
それは、人が人生を、環境をコントロール下におき、
自律的に生きるということに他ならないのだ。
やがて来るそれぞれの時間の終わりのとき、
後悔しないためにも、そうありたいものだな。
ま。そんな話だ。
「あたいも人生をちゃんとコントロールしたいわ~!」なんて思ったら、ぽちっとな。(藁
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