サイン―守護天使の声?
たまには、
ライトなスピリチュアルな話を。
よくスピな方々がよく言う「サイン」。
あれ、ほんとに読み取るのは難しいよな。
人のことだと、
「それって明確なサインじゃん」と思うものの、
いざ自分のことになると、信じられなかったり、
見落としたり。
まぁそんなもんだよな。
ではそもそも、
いわゆる「サイン」ってなんだろうな?
ある朝、出かけようとしたら、
やたらと「事故」という言葉や映像が目や耳に飛び込んでくる。
なんとなく事故が連想されて、
「いきたくないなー」と思っていて、
案の定、予定にしたがってでかけたら、事故に巻き込まれた・・・。
反対に、
足止めのサインにしたがって家を出なかったら、
事故に巻き込まれなかった。
ぽまいらも、
そんな経験はあるかもしれない。
知り合いでは、こういう経験をもってる人がいる。
東京の人だが、
ある晩、地元の友人からある日、電話が来た。
聞けば、「意味はないが、とにかく電話をしなくてはいけない気がした。」
という理由だけだという。
しかし、翌日は普通に会社がある。
時間はもう深夜だ。
だが、なぜか、自分もむしょうに話を続けたくなり、
会話を続け、朝になった。
少しだけでも、と出社時間まで仮眠をとったのが運のつき、
豪快に寝過ごしてしまった。
慌てたものの、もう遅い。
だが、結果として彼は、そのまま出社どころではなくなった。
いつも自分が利用するルート、時間にドンピシャリで、
あの地下鉄サリン事件が起きていたのだ・・・。
さて。
そんなサインだとか虫の知らせだとか予兆とか。
往々にして、
それらは予期していないときに来るという。
つまり、心に余計なものがないときだ。
「受け取り」やすくなっているときだな。
そんなときに、フッとやってくる。
そしてそれは、
自分の守護天使からのサインであることが多い。
彼らは、極力、我々の人生には関与しない。
しかし、ここぞというときには、
必ず何かしらのメッセージを送ろうとしてくれる。
オレさまたちが「人間」存在になったその瞬間から、
いつか人間以上に進化するそのときまで。
輪廻という輪の中において、
常に寄り添い続けてくれる存在だ。
いつだったか、
NHKで守護天使の正体は?みたいな番組がやっていた。
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130504-31-02057
ほんの終わりの部分しか、
オレさまは見れなかったので詳細は知らない。
ただ、極限状態で生還を果たした多くの人は、
何かしら、自分を助けた「声」について語っている。
もちろん科学者は、その声に合理的な説明をするだろう。
そして実際、その通りのこともあるだろう。
だが、
幾つかは、
本物の「守護天使」からのメッセージに導かれていることもある。
たまにはぽまいらも、
心をからにして、
自分を見守る優しい眼差しに思いをはせるのもいいかもしれない。
往々にして彼らは、自分が必要と思うときは、
何もメッセージはくれないだろう。
だが、彼らなりの方法で、
その眼差しを感じさせてくれることはある。
そんな瞬間が、ふっと訪れるとき、
心に優しい光が灯される。
たとえ有益なメッセージだのサインだのでなくとも、
まぁいいじゃねぇか。
自分はどんなときでも独りではない、
と信じられるだけでもよ。
ま。そんな話さ。
・・・せっかく来たので押していただけると、
とってもうれしゅうございまする。。。
はい、ぽちっとな♪
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。