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「エソリテック・ティーチング」人間編7

いい加減に続きやらんとな、ということで、『エソテリック・ティーチング』精読シリーズ、人間の章の続きだ。


前回の「6」を読み直してくれると良いと思う。


さて。人間という存在は、<自己認識―魂>とダスカロス派が命名している、聖なるモナド(神の分霊みたいなもん)としての自己の本質部分が大天使的人間のイデア、続いて人間のイデアを通過して人間に投影されて、まず「高次の自己」(永遠のパーソナリティ)が成立すると考える。



この永遠のパーソナリティがオレさまたちの本質的なエゴ(セルフ。エゴイズムというときのエゴと区別するように)だ。


以下、抜粋。


「このエゴは自己認識―魂としての自己から空間・場所・時間の世界に投影され、転生の循環の中に入ります。エゴは永遠のパーソナリティであり、永遠にして不滅の素材で作られています。


永遠のパーソナリティは経験の世界に降りてくるとき、そこに独自の色を映し、自らの人生のシナリオを考えます。そして空間・場所・時間の世界において、さまざまな名前を持つさまざまな現在のパーソナリティーを身に纏い、これらの世界であらゆる方法によって自分自身を表現していくのです。」




ハイアーセルフなんて概念もあるように、オレさまたちの「パーソナリティ」は決して、いまモノを考え、感じているこの自己だけではない。



かつて降りてきた高みの世界とともに在る。というか、むしろこの脆弱で、移ろいやすい気質の弱い自己は、高い自己から投影された一時的なものにすぎない。



一種のアバターみたいなもんだな。(藁


そしてアバターの経験することを永遠のパーソナリティのほうで蓄積していくわけだ。どこに記憶するかといえば、「永遠の原子」と呼ぶものの中にある。



オレさまたちのほんとの自己のありかである、霊的なハートにそれは位置している。この永遠の原子こそ無限のメモリースティックのようなもので、オレさまたちのすべてが転生を超えてインプットされていく。


そしてこのインプット内容によって、オレさまたちが転生のたびにまとうエーテル体やアストラル体も進化していくわけだ。ゆえにハートの浄化(内省)に務めることは、そのままオレさまたち自身の霊的進化に直結するとても重要な作業なので、怠ることは許されない。



今回は、ここまで。次回は、死後のプロセスを少し触れる。



ま。そんな話だ。




                     訂正 1  



せっかく来んだから、押しておけって、コレ。(藁↓
                        

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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
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  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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