講座サマリー
はいどーも。ぼくちゃんです。2012年の準備に向けて余念がありません。宇宙人がきたら全力で迎撃する所存です。
薔薇をクチに加えて、全身黒づくめの団服を着て、「薔薇十字騎士団、身命を賭して地球の同胞(女性限定)を守る!」と戦います。
ローソクと五寸釘をもって、UFOを伝統的なwスピリチュアル・アタックで沈めてみせるぜ。(にこっ
あーさてさて。
ヨタ話はともかく、今日のサマリーな。
今日はまず、原因と結果の法則。ここんところやってるヘルメス学の7つの法則の6番目。
原因と結果の法則
「どの原因にも結果がある。どの結果にも原因がある。何事にも法に従って生起する。偶然とは気づかずにいる原因をさす言葉にすぎない。原因にも多くの層がある。だが、法を逃れる者は一人もいない。」
まぁカルマの法則は、一見は非常にシンプルな法則だ。
物理といっしょ。というか、物理法則もカルマの法則の三次元的なあらわれだ。
しかし、物理次元だけでなく霊的次元までも貫いた法則のため、我々は確認することが困難だ。その作用が輪廻をまたぐとなお更、わかりにくい。
また、仮に霊的法則を「認める」というスタンスにたったとしても、いや、立てば立つほど、2つの解釈の潮流に我々は直面する。
ひとつは、運命決定論。生まれる前からすべては決まっていると考えてしまう、悲観主義的な流れだ。もう一つは、今世において我々はすべてを自由に、意志のまま為せるというスタンス。
もちろん、結論としては、どちらも半面しか見ていない。
我々は今世において自主的に取り組みを欲し、為していくことができる。同時に、かつてまいた原因を刈り取ることにもなる。その双方が縄のようにからみあって1本の人生という縄をあんでいく。
今日を作るのはかつての想いと行為であり、明日を作るのは今日の想いと行為だ。善因善果。
今日為す<因>を善きものとして積み上げていき、結果としてこの先に現れる結果を良いものにしていく。現れてしまった「悪い果」は、かつて為した原因の結果であり、自分を軌道修正させ、学ばせるためのものと受け入れていくしかないのだ。
いずれにしても、原因と結果の法則は、この世界、宇宙を根源(神)ヘ進化させ、帰一させるものだ。その絶対的正しさを信頼し、いかなる結果も―どんなに辛いものでも―受け取るに値するものであると理解することが求められる。
そして明日受け取る結果をより善きものにするためにも、今日為す因が本当に「正しい」ものなのか、常に内省的に、理性的の光で照らしていかなくてはならない。
例えば、「年収5000万になりたい」と願ったとする。ある者にとっては、それは不当に欲望を肥大させるだけの浅ましい願いであり、「不当」な願いかもしれない。
しかし、別の者にとっては、それは―ある種のスポーツ選手とか、起業家とか―むしろ目指すべきポジジョンにおける正当なる結果の数字化といえるかもしれない。
同じような願いであったとしても、人によって不当であったり、正当であったりすることもある。だから自分の抱く願いや行動(原因)が「正しい」ものなのかどうかは、自分でしか判断できない。だからこそ、我々は内省を習慣とし、理性の光を常に曇りなきものにしておかねばならないといえるのだ。
といったようなことをやったな。
そのあと、小周天のスキルを完成させて、それに伴う一連のアレなメソッドを練習した。
とりあえず今回で、霊的能力の開発エクササイズに関しては、一通り終了だ。次回の最終回でまた復習しよう。今回欠席した者もここでちゃんとやってくれ。
で、返す返す言うけれども、能力の開発だけにこだわらずに、浄化や内省といったスピリチュアリティを高める類のもののほうが重要なので、そちらこそ怠らないようにな。
講座で行った能力開発方面のメソッドってさ、身体技法の要素が強いだろ。だから慣れたら取り組みやすいし、結果を得やすい。だからこそ、スピリチュアリティの発達よりもずっと簡単に能力だけ高めることができてしまう。
しかし、くどいけれども、霊能よりも霊性を。双方バランスよく高めるように心がけてな。
そういう意味で最後に行った薔薇十字瞑想。
霊視能力、視覚化能力を高めるだけでなく、魂を浄化し、霊的に進化させる。非常にバランスが取れた瞑想方法だ。めんどくさくとも、こいつをじっくり取り組んでいくことでバランスよく霊性と霊能を高めていける。
何事もバランスだ。
そんなわけで、ラスト1回に向けて、がんがっていくことにしよう。
で、だ。
講座のぽまいらは、しばらくこうした訓練を練習を怠らなければ、多少なりとも、霊視力やらへんに冴えるインスピレーションなど得ていくことになるだろう。
しかし、それらを使ってほんとに高い次元で覚醒するまでは、決して、「チャネラー」「ナントカヒーラー」etcなどを名乗ったりしていかないようにな。
あくまでも、神秘学徒。理性的、知的な意味での探求者。
実践家、能力者としての顔を出していかないようにな。
有象無象なヤシらがよってきたり、巻き込まれたりするだけなのだから。
ほんとの意味で他者に貢献できる能力なんてまだまだ先のことだ。それまでは、むしろなんの役にも立たない程度のものだ。霊的探求をするにはまだまだ貧弱な翼であることだろう。
十分な翼を得るその日までは、知的学習がメインの神秘学徒、という自己定義をしておくようになー。
ま。そんな話だ。
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