動物霊は憑依するという話を考えたみた。
どうも、夏樹です。
ぽまいらはいかがお過ごしでいやがりますか。
ところで、今回は少しオカルトです。過去メルマガの編集です。
ちょっと長めの記事なので、まずは軽く要旨のまとめから。
Contents
今回の記事の要旨
今回のお題は動物霊の憑依とかとかです。
日本には昔からこのテの話はあるワケで。
動物霊が憑依。僧侶、霊能者が霊視して、「狐が憑いた!」とか。
そしてお祓い、除霊とかとか。そういうことをする「文化」があったりした。
そんなテーマを少し語るのも、季節外れでいいかしれない。
とはいえ、神秘家としては、動物霊という古来から共有された
社会的物語の文脈に落とし込むより、
【人が生み出す想念形態としてのエレメンタル】の話と絡めつつ、
展開してみたい。
基本的に筆者は、動物霊の憑依という現象を信じていないために、
今回は内容となった。
まずはエレメンタルの話から
さて。
オレはまず基本的に「動物霊の憑依」
たいていは、「エレメンタル」(想念形態)が
観る者の文化背景によって動物的に観える、
ということだとふんでいる。
たとえば、キプロスの神秘家ダスカロスに言わせると、
人の欲望のエレメンタルとかがヘビのようなカタチとなって
本人に取り付いてるがせ霊視者にはみえる、という。
そしてその霊視者の育った文化背景によっては、
違うカタチにも見えるだろう、と。
講座でも少し言ったが、
人の思考・欲望といった「想念」は、
それ自体が四大元素の力で構成されている。
そして強い想念は、
それ自体カタチとなって、
「エレメンタル」と呼ばれる想念形態となって、
独立的な活動をする。
俗にいう生霊のようなものだ。
これは良くも悪くも使用される。
中毒性の欲望は、
「欲望→思考型エレメンタル」
そしてその欲望を叶えようと本人を操作する。
聖書では、
もの言わぬ悪霊として描かれている。
一方、正しい思考から生まれた「思考→欲望型エレメンタル」は、
たとえばヒーリングのように「誰かを癒したい」
という願いを叶えるために機能する。
ゆえに神秘学徒は、
意識的にこうしたエレメンタルを形成することを学び、
ヒーリング等に活用する。
またこうしたエレメンタルは、
夜寝てる間に、人は生産してしまうのだ。
無意識的にね。
人に言えないような歪んだ欲望も
エレメンタルとなって生産されて出ていき、
同じ波動を持つ人に憑依し、
その人を通じて欲望を叶えさせようとする。
これが怖いのは、単なる食欲程度のものならいいが、
犯罪的欲望の波動を持つエレメンタルならば、
似たような人に憑依したとき、
最後の一歩を超えさせてしまうからだ。
よく言う「魔がさした」という状態を自分の知らないところで、
誰かになしてしまっているかもしれない。
ゆえにこの道を歩むものは、
日頃自分が抱く欲望すらも、
「正しいものか」と常に検討する必要がある。
そして理性の光を潜在意識にあてて、
クリアに浄化しなくてはならない。
誰にも言わない妄想だから、
誰にも迷惑かけていないということは、
決してないのだ。
と、一通りエレメンタルの予備知識を与えたところで、
オレは思う。
純粋な動物霊というものが人間に悪さをする
ということはホントにあるのか?と疑問だ。
動物霊に憑依され、
それを祓う坊主。
お経を唱えると苦しむ、
憑依された人。
おいなりさんを定期的に供えて供養することで、
離れると約束する・・・。
ホントかよ!!と、
オレは思う。
まぁ上記のは典型的なステレオタイプだが、
そういう「動物霊とされる設定」自体が、
人間の側が思い込みで生み出した物語だ。
ホントに動物霊ならそんな設定は通じないだろ?
だからまぁエレメンタルじゃねーの?
とずっと思っているのだが、
それでも疑問は幾つかある。
動物霊に憑かれた?と感じる人々
オレがネットとかで見つける、
オレと「合わない」スピ系能力者の多くが、
「動物の霊か?」と感じるモノを憑けている。
うまく言えないが、
まぁそういうヤツは、
どうしても「ケモノ臭いぜ」とオレは思う。
(そして絶対にオレとは仲良くならないwww)
繰り返すが、
オレは動物霊の憑依など信じていない。
しかし、
動物霊と感じるナニかを憑依させているヤシらは、
- ・ちょっとした霊能を発揮する。
・その内容はもちろん低次元。
・簡単な透視、当てもの、ペットとかの通訳をする。
・やたらと神だの仏だののフリをするか、
そうした存在の言葉を伝えたがる。
主にこのあたりのことをする。(したがる)
そして自分に憑いているのが動物霊だとわかっても、
祓いたがらない。
霊能が失われるからな。
岡野玲子の漫画「陰陽師」に
動物霊に憑かれる行者をボロクソに言う
ワンシーンがあったが、上記のようなカンジだ。
行者の中には、
動物霊とわかっていても、
霊能がある程度は憑くから、
そのままにしている、と。
とまぁ、そうした特徴を持っている。
なんなのだろうね?
そしてまぁへんに危機意識が高いのか、
自分に危機を及ぼす人間には攻撃的になり、
すぐに遠ざかる。
霊的な事柄を学んでいる知人も、
一度は向こうから助けを求められたにもかかわらず、
本格的な介入の前に、
音信不通となってしまったクライアントがいた、と話していたことがある。
やはり動物的な何かが憑いていたようだ。
結局、
まだこの「動物霊」と感じる存在についての
正体はまだなんとも言えない。
霊学的にいって、
「動物」には人間のような「自我」がなく、
「憑依」だの「人間を操る」などといったことは
できないはずなんだがなーと思ってはいるのだが。
結構ね、
この世界も慣例的に「動物霊」とか
「水子の霊」とか、ふつうに使うヤシはいる。
しかし、
水子が祟るなんて元を出せば仏教カルトが
近代に生み出した霊感商法のための
ホラ話みたいなもんだし、実にいい加減なものだ。
スピリチュアルだからって何でもアリ、
当たり前、と思考停止にはしないで、
きちんと検討することは大切だと思う。
それはこの領域に限らず、
日常生活、仕事、
どんなことにも当てはまるはずだ。
理性的に生きるということは、
思考停止からの脱却で始まる。
ま。そんな話だ。
■編集後記
というわけで、
今回はエレメンタルと動物霊の話。
動物霊に憑依されていることにも気付けない、
自称・霊的能力有りな連中には必ず避けられ、
嫌われるのでw、
ふとそんなことを考えていた。
ぽまいらも、
変なモン憑けないようになw
追伸としてのお知らせ
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