日本的霊性についての対談:鈴木大拙の言説をもとに/後編
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本記事の概要
そんなわけで、フラグメントとの対話。後編です。
前編が未読の方は、日本的霊性についての対談:鈴木大拙の言説をもとに/前編をまずどうぞ。
前編では、鈴木大拙の「日本人の霊性は鎌倉時代から始まった」という点をキーワードに対話をスタート。
そのキーワードとして、鎌倉時代の末法の世とされるほど苦難の時代にうまれた、
「絶対他力」の思想が起点ではないかという点まで話が進みました。
では、後編をどうぞ。
霊性意識を発達させたことで、日本人はどんなものを感じとるようになったのか。
フラグメント:
この問いに対して、おいらが知っているのは2つ。
絶対他力に入る前に、この点をまず話しておきたいな。
一つは全宇宙空間というか、すべての空間が愛の波動で満たされているということ。
その実感を得たのではないだろうかね。
ここから派生して、おそらく人間も含め、あらゆるものは愛なんだと思う。
憎しみも蔑みも殺意すらも、全ては愛の一様にすぎないのだろうと思う。
二つ目は、神は愛と同義だけれど「情」ではないということ。
だからときに、すごく冷たくも映るんだよ。
なつき:
その点はおれもよくわかる。
神仏、こちらで言えば、大天使的存在だが、彼らは法であり、力であり、システムなんだよね。
絶対的な愛なのかもしれないが、人間にとっては、その理解を超えていて、必ずしも「今の意識」では、温かいと映らない。
フラグメント:僕がなんとなく記憶しているのは、阿弥陀様なんだけれど、彼は人格というより、世界におけるひとつのシステムに感じた。
そこはなつきの感想とよく似てるね。
もちろん、彼のアバターは情に厚いんだけれど、本体はね・・・。
多分どの神も、そうなんだろうけれどさ。
日本人の神仏への意識の在りよう
なつき:
その意味じゃ、地上に降りた神、イエスは、まさに温厚で優しいとは思う。
しかし、昇天したあとの完全な愛となった彼はよくわからないな。
理解を超える、無限の愛そのものだ。
フラグメント:
なんていうか、神様ってのは、FiveStarStoriesの天照大神みたいな感じかもね。
本体は「情」はないけれど、分神たるソープやリンスや東なんかは情たっぷりみたいな。
あんな感じ(w
なつき:
おれにとってはわかりやすい説明ありがとう。(笑) 世代が分かるな、おい。(笑)
そんで少し日本的霊性の話がそれたので戻すけどさ。
つまるところ、日本人の言う「霊性」ってのさ、アニミズム的平行性(世界の受け取り方)から、神的向上性(宇宙を垂直に上昇)する可能性を受け入れた。
そしてその道が、一人ひとりに開けている。鈴木の言葉でいう「超個己性」へと発展したことだと思うんだ。
フラグメント:
日本人の霊性って、アニミズム的世界観と自己を高めていく意識が併存している点において、世界でも特異な性質を持っていると思う。
八百万の神々に畏敬の念を抱き感謝する心と、瞑想や座禅などによって自己を成長させていこうという意識。
それが融合している。
日本神道と仏教の融合が日本人の霊性を形作ったんだろうね。
京都を散策しているとそれをすごく感じる。
日本人は無宗教だなんて言われるけれど、日本人ほどすべての神々に畏敬の念を抱いている民族は少ないんじゃないかな。
そのうえで自分を成長させる意識をもっている。
だから基本、謙虚だよね。
なつき:
フラグメントの言う「日本人ほどすべての神々に畏敬の念を抱いている民族は少ないんじゃないかな。」ね。
おれもこの点にすごく同意する。
だから日本では、いわゆる「宗教戦争」は世界のようには起こらないんだと思うよ。
神様がアタリマエすぎて、それを理由に、解釈の違いで殺しあう理由が分からない。(笑)
日本的霊性ってのは、もちろん、中国やインドからの宗教的伝来がベースにはある。
しかし、元をたどって、かの国々では、あまり個人に対して、この「超個己性」が開けておらず、特別な人の道だと思われたままだった。
しかし、日本では、すべての人が仏になりうる。
とした。死ねばみんな仏様、じゃないけども、この万民にたいして開けた道であるとの覚醒が、日本的霊性の神髄ではないだろうか。
これを鈴木は「親鸞の一人一人的経験」なんて表現して、中国などには出現しなかったとしているように思う。
絶対他力への目覚め
フラグメント:
親鸞というか、源信、法然、親鸞、そして一般的には言われていないけれども、天台宗、第3代天台座主の円仁。
彼らが伝え発展させていった念仏の教えが、浄土宗として結実するのだけれど、その一番大事な要素、そして日本人の霊性の発展に大きく寄与したのが「絶対他力」という考え方なんだよね。
しかし、この言葉ほど字面で人を誤解させた教えもないな。(笑)
おれからすると、この言葉ほど、「信仰」を問われる言葉もないのだけどね。
神の絶対の愛を信じることは難しい。
クリスチャンにとっては、人生におけるすべての試練が、まさに信仰を問われることになる。
幸運を神に感謝することは容易い。
しかし、理不尽な艱難辛苦の中に、神の御手を、愛をなお信じられるか。
「絶対他力」(神の愛とあえて同義とする)を受け入れるのがクリスチャンなのに、人生ではすぐに問われるわけだ。
その末路が、「神は死んだ」だ。(笑)
フラグメント:
「絶対他力」というと、「他人任せで自分は努力しなくてよい」というようにとらえられてしまうので、違う言葉を考えたほうが良いんだけれどね。(笑)
その本当の意味は、例え僕たちがどんなに悪いことをしても、何度も同じ過ちを繰り返しても、神仏は決して見放すことはないというもの。
確かになつきの言う「神の愛」的なものだよね。
だから「出来ることから、少しずつでもよいから、りっぱな人間になれるように努力しなさい。神様は、僕達が立派な人間になれるまで何度でも何度でも修行させてくれる。現世でもあの世でも、ずっと見守ってくれているんだよ」、という意味なんだよね。簡単に言っちゃうと。
大事なのは「すべての存在が愛されていて、決して見放されない」ということ。
これが絶対他力の本当の意味。
つまり、人は神に絶対的に愛されているってことでOK?
なつき:
おれはそういう話を聞くと、聖書の放蕩息子の話を思い出す。おれはすごく好きなたとえ話でね。
※ただし、なつきの解釈は神秘家ダスカロスに沿う。
参照記事:https://wizardofsoul.org/1103.html
「父の愛」は、どんなバカ息子(弟)でも、頑固で融通の利かない兄(大天使)に対しても同じように注がれているよね。
話を戻すと、親鸞は、
「自分も悪いことをいっぱい行ってしまうし、心だって弱い。
そんな僕達が立派な人間になるのは本当に難しい。
だから、この神仏の愛にすがって、少しずつでも一緒に前に進みましょ。
そうすればいつかきっと立派な人間になれるから。
特別な人ではなく、みんなちゃんと成長できるから」
という教えを広めたんだね。
このことを指して鈴木氏は「親鸞の一人一人的経験」と表現したんだろうね。
仏教は、自分の努力で成長することでしか、人は幸せになれないという教え。
なので、なつきの言う通り、普通の人からみれば、修行している僧侶や、ちゃんと努力のできるりっぱな精神を有している人だけが解脱できるというように感じちゃう。
実際に、日本でも鎌倉時代まではそういう風潮が強かった。
鈴木氏の指摘する通り、それまでは一部の貴族、僧侶たちのような階級のものだった。
それを変えたのが鎌倉仏教であり、その中でも弱い人間でも神仏の加護の元ちゃんと成長して、いつかはりっぱな人間になれるんだ、と説いた浄土宗の影響力は大きかったんだよね。
なつき:
ということで、まとめると、仏教は小乗的なるものにすでに大乗への思想を内包しており、それが花開いたのが、民衆にとって艱難辛苦の鎌倉時代だった。
それは仏教的慈悲-おれの言うところの愛の教えとして昇華し、鎌倉時代の、日本的霊性の芽生えとなったというところかね。
このへんに、鈴木大拙がキリスト教との類似を見たのもあるように思ったよ。
フラグメント:
そうだね。でも忘れないで欲しいんだけど、絶対他力って浄土宗だけのものではなくて、本来は仏教の根源にあるものなんだよ(w
編集後記
というわけで、フラグメントとの対話、日本的霊性についての記事はいかがだっただろうか。もとはといえば、おれが仏教学の大家・鈴木大拙の名著『日本的霊性』を受けて、おれから見るとまさに「日本的霊性」の道を歩んでいるフラグメントに質問したことから始まった。「日本の霊性って、鎌倉時代に始まったのか? 鈴木大拙っていうすごく偉い人がそう言ってんだけど」みたいな。(笑)
一を聞いたら百を語るフラグメントの話はあちらこちらへと飛ぶので、本筋に沿ってまとめて直すのは骨が折れたぜ。(笑)
しかし、たまにはこういうマジメな話もたまにはいいかな、と。途中、ややデンパ系のノリは入ったけどw
まぁ、おれなんぞは、仏教ってやつは、小乗(上座部)仏教から大乗仏教へと「進化」して完成する、と見てしまうんだけどね。
そこに愛の思想(と神秘主義)の融合があるので。
しかし、フラグメントはおれの見方より、もっと深そうだな。
仏教諸派にたいして、表面的な教義の違いというよりも、仏教という「姿」をとって現れた霊統のようなものを見ているのかもしれない。
そこらへんは、彼はお釈迦さまに対して、またいろいろと思い入れがあるようなので、いずれ、語ってもらおう。
お釈迦さまの後をおって出家したとかいう「昔話」がもしあって掘り出せたら、面白いとは思うが(笑)
というわけで、年末に相応しいかはわからんが、結構マジメな対談をした記事。
楽しんでいただけたら幸いだ。
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と思って読ませてもらいました。
こんにちは。ご無沙汰してます。
それと、5周年おめでとうございます(^∇^)
仏教の話、良かったです。後半は余り良く分からなかったけど(笑)
ずっと鈴木大拙って怪しい人だと思ってた(笑)((笑)ばっかで全然真面目に読んでねえw)
※ 今度、デンパデンパした話も読みたいです(笑)
なが
おひさ~&あざっす!
そろそろ雪に埋もれてアルコールでしのいでいるころか?笑
そう、あのフラグメントでございます(笑)
おれにとっては
困ったときのフラグメントでしてw
おい、国際的に禅を広めた仏哲の巨人・鈴木大拙だぞw
正統派だ、正統派。
ぐぐれw
まぁおれも書評記事を書くほどは読み込んでないけどなw
だから話のネタ程度にして、あとは対談というカタチにした。(笑)
あれ、ながのコメントがひとつ反映されてねぇな。おれの方では間違って削除した記録とかはないのだが。ながの方で消していたら問題はないけど。<般若湯が・・と書いてたやつ。(笑)
ふんとだ!
なんだっけ?お供えは般若湯(笑)
なんかやばいこと書いてたっけか?
また書いとくo(^▽^)o
わざわざありがとう〜!
>ながさん
こんにちは~
たま~に出没するふらさんです(w
私なんか鈴木大拙って人自体知りませんでしたよ~
オレ様と話して初めて知った!
>今度、デンパデンパした話
あはは、そんなには無いですよ。
というか、その手の話はだいたいここか
過去のオレ様のブログに一度は書いてるけれどね
私は霊能力も超能力もない
ふつ~の人でございます。
仏教関係は前世で何度もお坊さんやってるんで
自然に詳しくなってるんですな。
人生で得たものはちゃんと次の人生に引き継がれるようです(w
>オレ様
対談記事お疲れ様~
いや~よくまとめられたね~
話の本筋すっとばして
思い付きで話してたから
あれをまとめるのは大変だよね~
「まぁ、オレ様だから大丈夫だろう」
と思ってたから、そうしてたんだけど(w
でもさ~前の記事で上からの行政監督とか行政指導とか書いてあったじゃない?
そういうのがあるらしいっていうのは知ってるんだけれど
おいらには全然そういうのないんだよね
感じたこともない(W
まぁ、おいらの場合
神秘的な話はほとんど何も知らないから
関係ないのだろうけれど
どういう話が行政指導対象なんかね?
ふら
>私は霊能力も超能力もない
>ふつ~の人でございます。
普通の人、ねぇ・・・。
普通の定義も随分とあいまいになったもんだ。(笑)
>どういう話が行政指導対象なんかね?
これは主に講座内での話だけど、
「間違った指導」のときに入るもんだよ。
あるいは「これをやりなさい」みたいな。
そういうのをひっくるめて行政指導と表現した。
知識的な意味でのミスや間違いは基本指導は入らないけど、
プラクティスのミス、順序、
まだそれはやるべきではないといったことは厳しいと感じる。
ふらさま
気づくの遅れちゃって今頃ですけど、読んでもらえるかな?ドキドキ
> 仏教関係は前世で何度もお坊さんやってるんで
こういうのこういうの!
デンパ話は、今度、オレさまとお話しする機会がありましたら、隅っこでこっそり聴き耳を立てております(笑)お布施は般若湯で。
ほうほう 実践の方か。
いろいろ難しいんだね~
おいらはそういうのはないけれど
最近やたら阿弥陀様が頭の中に浮かぶな~
選択をしなきゃいけない時にね
なんか、そのたびに
テストされてる気分だよね
良いんだか悪いんだか知らんけれど
なんだかな・・・(苦笑