叡智と真理を探究する者のために

瞑想とは何か。マインドフルネス,チャクラの開発など、多様な効果を持つ瞑想のやり方について

 

この記事は瞑想全般について学ぶことができます。
・マインドフルネスなど科学的瞑想。
・瞑想とスピリチュアルの関係。
・科学的、伝統的瞑想の違い。

この記事は瞑想の種類や、やり方、効果などが簡単にわかります。

 

 

また筆者は「本物のスピリチュアル」を追求した下記のメルマガを発行しています。

この記事に関心を持つ方に適しています。

ぜひご一読ください。

『あなたが霊的にも社会的にも成長する方法を書いた神秘学のメール講座』

Contents

【瞑想に関する記事の概要】

どうも。夏樹です。

そろそろ夏樹デラックスとか名乗ってみようかとひそかに思案中です。別に太ってはいないが、なんつーか、あれね。あのマツコの毒っぽさって、なんか笑えていいよなというか。

まぁもちろん名乗るのはウソですがw

 

さてくだらない前置きはともかくとして。今回は、スピリチュアルな道において、比較的安全な瞑想の目的、瞑想におけるチャクラの開発、方法論など具体的なやり方、種類や意味、効果などについて、大よそのところまとめてみたい。音楽を使ってもいいのか、とか。推奨時間はどれくらいか。姿勢はどうするのか。といった、想定よりも基礎的な質問も多かったので、適時回答を追記してある。瞑想のやり方など概論的な話から始まり、マインドフルネス瞑想や内観、チャクラとの関係性などについてスピリチュアルな視点から考察する。

 

また最近ではYoutubeやアプリとかのツール情報に関しても加え、改定稿としてそれらの情報も追記している。瞑想概論ってことでコツコツとversionUPしていく。瞑想のやり方や効果などに興味がありつつも、どれを選んでいいのかわからないなど、そういった方に役立てば幸いだ。自分の性に合った方向性が見つかればいいと思う。

 

さらに加えて、瞑想ではある種のマントラを加えて実施するタイプもある。後半にはそうした本格志向な瞑想練習者に対して、マントラも用いる特殊な瞑想も紹介しておいた。参考になれば幸いだ。

 

 

では本論に入っていこう。

 

 

マインドフルネスなど瞑想の目的と前提について


そもそも瞑想とは何か。改めて問われると、その本質に切り込んでいる言説は意外と少ないのではないか。リラクゼーション的なものから、チャクラ開発に効果的な方法論といったマニア向けの概説など、色々と情報は散見される。

 

今時分は流行なのか。ちょっとしたスピリチュアルや健康志向の影響で、ごく浅い副次的な効用面、精神修養的な側面ばかりがよく言及されている。とくにマインドフルネス瞑想への言及が多いのはそのためだろう。

 

しかし、言葉は悪いが、差しさわりのない、毒にも薬にもならない説明が多い。

 

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思わず「ふ~ん」と言いたくもなるわw

 

 

だが、本来の瞑想の役割も言わねばウソだろう。別の記事でも触れたことがあるが、一般論的(といってもごく狭い宗教的、秘教的世界の)に言えば、瞑想ってのは、霊的進化を促進し、その果てである「永遠との一体化」(神化)を最終的なゴールとするための行法だ。そのプロセスにおいて、確かに主要な七つのチャクラの開発なども当然、触れなければならない。そこにはある種のマントラや印なども出てくる、ディープな行法の世界ではある。

 

こうした世界では、我々の魂は「神の一体化」のために存在しているとプラトニズム的世界観では考える。エソテリック(秘教的)な宇宙論といってもいい。そしてこの一時的な世界に来ているのも、元々いた神様のもと・・・「永遠」との一体化状態では得られない、「経験」という宝を持ち帰るためだ。

 

 

ただし、この「最終的な」視点からの話は、一時スピで流行ったらしい、非二元性だかノンデュアリティとやらの話のような視点ともいえる。クソの役にもたたん。あいつら、すぐ「ワンネスだ」「一体化だ」「この世はすべて幻想」とか、「あなたはワタシんですよっ(ニコッ」なんて詐欺師みてぇな薄気味悪い笑顔としたり顔を浮かべやがるからな。

 

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本当に大切なのは、二元性とか相対性と言われる、この世界での探求に役立つスピリチュアルな方法論だ。その過程で必要とされる「瞑想」は、本来的な目的である霊性進化の行法であるというよりも、巷間言われるように、ストレスからの解放、心身の治癒、浄化といった比較的「浅い」効果効能を主目的に語られることが多い。

 

いわば本来の瞑想の目的から考えると、それらは副産物的効果なんだ。ただ、別にそれを主目的にすることも、決して悪いことではないんじゃないだろうか。入口や求め方くらい、別にマイルドであってもいいと思う。おれも少しは丸くなっている。(笑)

 


一方で、より本格的に取り組み、霊的身体やエーテル・センターと呼ばれる特定の霊的器官(俗に言うチャクラ)の発達を促進していくと、その結果として、いわゆる霊的な力を得ることもあるし、そのような目的性を持つ瞑想の方法も存在している。

 

というより、ナンチャラ瞑想とかでスピ系やら行者が悟ったとか、そこから流行りじゃないが、スピリチュアル・ヒーラーとかスピリチュアル・カウンセラーになれるとか、なんとかほざいているケースも散見される。しかし、最初に言っておかなきゃならないことがある。

 

よくスピリチュアル系の講座であるんだが、


「スピリチュアル・ヒーラー」

「スピリチュアル・カウンセラー」

「●●な効果を得る●●瞑想の方法」


など、「ある種の力」を得て、「なにかになる」ことを目的とするスピリチュアルは、「確実に失敗する」。

 


「スピリチュアルと呼ばれる道をただ歩くこと。

 ただ取り組むこと。

 このプロセスを愛することができないと、意味がない。

 このことが出来る者のみが安全に、
 そして着実に歩を進めることができる」

 


前提が長くなったが、この教えはどうか覚えいておいてほしい。同様のことを確か故・本山博氏も述べておられた。


スピリチュアル系がよく誤るところだからさ。いささか長い前提だったが、次に話を移そう。

 

瞑想の方法論の前提

さて。実は本稿は、何度か手を入れるために意見を募った。そこで以外と多かったのが、想像していたよりも基礎的な面も多かった。呼吸法については書かせてもらっていたが、場所や座り方など、想定よりもずっと詩を歩的な質問も来た。自分では初学者向けに書いたつもりだったけど、まだまだマニアックだったのだろう。反省である。

 

なので、瞑想のやり方について、もっと入り口から触れていきたい。可能な限り、そうした改定はするので、質問は今後はコメント等でも受け付けるのでよろしくです。

 

 

瞑想の準備。場所、空間について~音楽とかは?~

①視覚情報の遮断

集団で練習するという状況でない限り、瞑想する場所は、もちろん静かな自室がいい。そのさい、視覚的情報を極力少なくすることがコツのひとつだ。部屋を暗くするのがてっとり早い。ちなみにある医師に聴いたことだが、部屋の本棚などに本をおいている人は、本の背(タイトル)が見えないような収納を考えた方がいいらしい。

 

そういうタイトル(つまり情報)が脳に多く入ると脳は勝手に慌ただしくするので、休まらないのだそうだ。だから部屋のレイアウトや片づけをするときは、「視覚に入る情報を減らす」という視点を持つことも勧めている。

 

心が休まる部屋づくりにいいだろう。瞑想や寝室に適した部屋とは、そういうものらしい。

 

視覚的情報が多いと、それが刺激となって当然、落ち着きに対する妨害となる。さらに記憶は次々と連想されていくので、目に入った日常品によって、そこから日常や仕事のことなど、雑念が想起されやすい。

 

②聴覚情報の遮断と選定

次は、音楽をかけることについての質問があった。これは本当に人によるんだ。いわゆるヒーリングミュージックや、リラクゼーションミュージック、自然音など、今はいろんな音源があるよな。

 

そういうものを利用したとき、「より落ち着く」「リラックスできる」という人は、使用して全然問題ない。むしろ使った方がいい。おれのように可能な限り音がなく、静かな方がいい、という人ももちろんいる。

 

自分がどちらの方がよりリラックスして、集中できるタイプなのか。それ次第だ。なので厳格に考える必要はない。要は落ち着く環境ができればいいのだ。

 

 

③瞑想に適した姿勢とは? 座禅でなくてはならないのか

この質問も多かった。答えは、ノーだ。おれ自身はふつうに椅子に座っている。これはもしかしたら、おれの本質がキリスト教神秘主義の系譜の人間であり、ヨーガ等への理解が浅いからの答えかもしれない。

 

しかし、おれの学んだ学派では、「体がリラックスできる状態であること(辛くないこと)」「背骨を伸ばし、エネルギーの通りを妨げないようにすること」ということ。とくに指導された注意点は、この二点くらいだった。ただ普通に椅子に座って行う人は、背筋がちゃんと伸びる工夫はいる。

 

最近だと、椅子に上におく、背筋を伸ばしてくれる補助シート的なものがあるし、背もたれと背中の間にテニスボールをはさんだり、タオルをまるめて置くといったコワザがある。どんな方法をとるかは人それぞれだけど、自分がリラックスし、疲れずに背筋を伸ばせることが重要となる。

 

だから、リラックスできるなら、別に横になってやってもかまわない。(ただし寝ないようにな(笑)) カラダが固い人は座禅だって辛いだろうし。

 

だから衣服も当然、ゆったりしたもので、締め付けないものの方が適している。とくにベルトをしている人は、ゆるめたり外す方がいい。複式呼吸の妨げにになる。また胸式呼吸を使うシーンでは、女性はブラなど、胸を締め付けるものには注意した方がいい。気がちってしまうからな。

 

④始める前に、呼吸法で全身をリラックスさせる。

読み進めてもらうと書いているが、「パターンド・ブリージング」という呼吸法を紹介している。基本は四拍で吸って四拍で吐く、を繰り返す呼吸法だ。慣れてきたら、七拍、八拍と長くすることも自由だ。

 

こうした一定の呼吸法を瞑想を始める前に実施することで、主に次の効果がある。

 

①まず単純に、身体をリラックスさせる。

②瞑想の効果を高める気(エーテル、プラーナと呼ばれるエネルギー)を吸収することができる。

 

これが重要だ。

 

⑤どれくらいの時間に取り組めばいいの?

この質問も多かった! これが意外と悩むところのようだ。長ければ長いほどいいのか。など、気になる人も多いようだ。そこでまず、ルドルフ・シュタイナーを例にとって答える。

 

◆一日、五分でもいいので、日常と切り離した習慣として設けること。

◆それは毎日、できるだけ決まった時間がいい。

◆習慣として同じ時間に行うと、それ自体が「リズム」となり、リズムはそれだけで力を与えてくれる。

 

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ルドルフ・シュタイナー。この世界じゃ有名な神秘家ですな。近現代の薔薇十字系神秘学の導師と言えばこの人でしょう。師から与えられた「神秘学に自然科学的体裁を与え、世に役立つ実学として普及させるように」という使命に、生涯をかけて取り組んだ。シュタイナー教育やバイオダイナミック農法がとくに有名。ちなみに若いころはかなりのイケメンですw

 

「シュタイナーの有名な5分」と言われている答えだ。(笑) 人智学に造詣がある人なら、この趣旨の言葉を聞いたことがあるだろうと思う。

 

また実際に瞑想に取り組んでいく時間だけど、確かにずっと五分では、効果は伸びなやむだろう。とはいえ、いきなり長時間取り組んでも、心身のバランスは壊れてしまう。瞑想は特定の呼吸方法で、ある種の効果を狙い、チャクラに働きかけることがままある。

 

それは不適切に行うと、自律神経に悪影響を及ぼすことがあるのだ。なので、今度は神秘家ダスカロスの答えだが、「まずは15分」程度が目安だ。むしろそれ以上はやらない方がいいだろう。

 

急にチャクラに影響を及ぼしかねないことにもなり、それは害でしかないので、とくに注意してほしい点だ。

 

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ダスカロス(ギリシア語で先生の意味。)本名スティリアノス・アテシュリス。いろいろとあって、おれが講座で教えるシステムも、彼のシステムの方が今は色濃い。

 

 

そんで慣れてくると、次第に自然と時間が伸びてくる。それは自分の訓練の深まりとして、自然な要求で時間は伸びてくるので任せること。おれ自身、毎日の瞑想時間は約一時間。特別な訓練のときはもっと長いが、それでも二時間を超えることはないはずだ。20年ほどこの道に取り組んでいても、まぁそんな程度さぁね。

 

 

以上が、瞑想それ自体を始める前の前提として知って欲しいこと、そしてコツとなる。

 

 

最近流行りの方法~アプリとかも利用できるよ~チャクラのクリアリングは何もいうまい。(笑)

では続いて、流行り?ともいうべき、瞑想を助ける補助ツールをちょっと紹介してみたい。

一つは、気功系に取り組む友人にオススメされて、おれもちょっと使ってみたことのあるアプリ。知ってる人も多いんじゃないか?

「寝たまんまヨガ」。

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寝落ち続出というウワサは確かだ。(笑)

 

120万ダウンロードだって! すげーな。うん、おれも御多分にもれず、寝落ちしたw 役に立ってんだかなんだかよくわからない。(笑) しかし、寝落ちして睡眠不足解消を目的にしているのでそれもアリか。つまり、リラックスはできているという証拠だろうか。(笑) そういう意味でなら、いいのかもな。

 

最近は瞑想、スピリチュアルへの関心の高まりによって、こういうツールもある。効果があるようなら、利用していいと思う。ただし、「チャクラの開発や浄化に役立つ」といったものは、眉唾だと思って間違いない。

 

「これどうだろう?」と友人からかるく紹介された、youtubeにあった瞑想用の音源は、なんとも、であったが。読経のように単調なリズム延々と繰り返す。いわゆるテクノ系といっていいと思った。特定リズムを繰り返し聞かせることで、トランスに近い状態を生み出すのがせいぜいではないかというのが感想だ。

 

そのようなものの効果に対しては少し懐疑的なもので、あまり推奨はしておかないでおく。

 

また、某女性博士のチャクラを浄化するという触れ込みのCDなんぞは、クソの役に立つものではなかったと申し添えておこう。(笑)

 

・・・まぁ、チャクラを浄化する、ということを正しく理解すれば、聴くまでもなく、そんな効果がないことは推察できるのだけどねw

 

んで、もうひとつ紹介したいのが、仏教の曹洞宗が開発・プロデュース(笑)というアプリ、「心のノート」と呼ばれているものだ。

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説明書きには、

「うれしい気持ち」、「悲しい気持ち」etc
日々、あなたが感じる“気持ち”を手軽に記録できる日記。それが心のノートです。
さまざまな“気持ち”を心に溜め込まず日記に綴ることで、心を整理し、心の環境を整えましょう。
日記を綴ったあとは、「心のみちしるべ」から
あなたの“気持ち”に合わせた、やすらぎとなる言葉をご紹介します。

***心を整理する3ステップ***


■1.気持ちを選ぼう

あなたが感じた「気持ち」を選んでください。


■2.気持ちを書こう

質問に答えて今の「気持ち」を日記に綴って、心を整理しましょう。

■3.「心の道しるべ」を読もう

心の拠り所となる「心のみちしるべ」も読んでみよう。
悩んでいるときは、気持ちが楽になるかも。」

 

と記されている。つまり一日の終わりに簡単に内省ができてしまうといううアプリだ。チャクラの開発だ浄化だなんだというアプリよりも、確実に役立つ。

これは個人的にはマジでオススメだったりする。(笑)

「心のノート」のダウンロードはこちらで。

 

それではさらなる本論に入っていこう。

まず瞑想は大別すると、大きく二種類に分けることができる。

 

 

パッシブメディテーション(静的、あるいは受動的な瞑想方法のやり方)と呼ばれる方法


一つ目は、いわゆる静的な瞑想だ。

身体を動かすことも少ないため、

「カラダを動かさない瞑想」

と誤解されがちなんだ。

 

でも、正確にはカラダの動静が問題となる方法じゃない。

 

静かにロウソクの焔を見つめたり、呼吸そのものに集中し、瞑想することが主なやり方としてあるんだけどね。

 

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ロウソクの炎をただただ見つめるとかね。ちなみにその炎に、自分の中から悪いものがでていき、炎で焼却されるイメージを伴う瞑想ある。

 


でもその名の由来は、「心魂におけるイメージ自体が受け身であり、特定の想念(イメージ)を活動的に展開させることがない」ということが受動的ということなんだ。


ちなみに仏教の観照(梵字をひたすら見つめるなど)もこちらに属する。


また心魂に湧き上がるイメージ(雑念)に対して意識的に強く干渉することなく、涌くがままに任せ、静かに押しやり、やがて何も浮かばなくなる―そんなカタチで明鏡止水へと入っていくという瞑想の方法も、パッシブメディテーションだ。たとえばヴィッパサナー瞑想も、ジャンル的にはこちらになる。

 


心を静かに、想念を受け流す。

 

その受動性から、パッシブ・メディテーションと呼ばれるのだ。

ヨガ深化

 

非常にスピリチュアルなアクティブメディテーション(動的なイメージを伴う瞑想の方法)


こちらの瞑想の方法は、特定のイメージを展開するタイプのものだ。前述の受動的な、パッシブメディテーションとは概ね反対の、動的な瞑想のやり方だ。

 

このサイト的にいえば、薔薇十字瞑想のように、植物の生長をイメージで心魂に展開し、その視覚化したイメージが魂にもたらす響きによって、特定の効果を狙うことが多い。

(チャクラの浄化や開発等)

 


より「外的効果」を意図したものであり、特定のイメージへの集中などの動的な瞑想の方法だな。この意味で、より積極的な動的なイメージ・視覚化(ビジュアライゼーション)をし、能力開発を伴う点から、「アクティブ・メディテーション」と呼ばれる。

 

一部、身体を動かすことが多いから「アクティブ瞑想」と言っている流派もあるようだが、それは本来的な使い方じゃないように思うのだが。

 

 

また伝統的宗派の行法では、静的な瞑想の方法が比較的多いように個人的に思うが、よりエソテリック(秘教)的な、たとえばキリスト教神秘主義の系統であるダスカロスの残したシステムなどは、アクティブ・メディテーションが多い。

 

具体的にはビジュアライゼーションによって、想念の世界で聖域を構築したり、特定のシンボルをイメージしたり、あるいはその中で大天使とのアチューンメントやある種のリチュアル(儀式)を実施するなど、特定の目的や動的な視覚化を伴う瞑想の方法が目立つ。

 

 

そうした目的性や効果を企図するからこそ、霊能の開発を望み、霊能開発自体を目的にするといった誤用も多い瞑想の方法でもある。また我流では訓練途上で問題が発生することも多いので、訓練には、指導者がいるべき瞑想の方法だ。とくに練習を過度にしたり、誤って行うと、自律神経に害を与えるケースもあるので注意がいる。

 

 

チャクラを活性化させる瞑想に適した呼吸法

続いて、瞑想には必須の呼吸法について概観してみよう。


瞑想を訓練するにあたっては、特定の呼吸法を伴うことが多い。精神を鎮めるだけでなく、エーテル(気)を溜めるなどの効果がある。

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そもそも呼吸とはなんだろう。

 

それは、サンスクリット語で言うところのプラーナ、中国・日本で言うところ「気」、西洋のエーテル、あるいは「プネウマ」(ギリシャ)。

 

大気、気、風といった言葉で表現される、この世界に満ちている、生命の根源的で霊的、あるいは神的エネルギーを意識的に取り入れることだ。

 

 

そう、呼吸とは、神の息吹、生命の力そのものを得ることだ。

 

それは人に与えられた、神与の「糧」なのだ。

 

人はあまりにも呼吸に対して、無意識的過ぎるといえるだろう。本来、「意識的に呼吸する」ことは、意識的に生命の力そのものを摂りいれ、制御すること、と言える。そうした意味から考えたとき、呼吸法とは、人の健康や霊的成長に対して多大な恩恵をもたらしてくれる、深淵極まりない技法へと昇華する。

 


方法論も世に多々あるが、自分の人種や育った国や地域、あるいは共感する文化圏、体質、カルマ的観点からも向き不向きがある。たとえばヨガ系では火の呼吸などは有名だよな。聴いたことがある人も多いだろう。

 

とても高い効果があるとされるが、しかし、効果的と言われる呼吸ほど、チャクラへ働きかけるチカラが強いため、危険性が高い。同様に指導者のもとに行うべきだ。


そこで本稿では、比較的安全なものを幾つか紹介する。

 

 

自然で深い呼吸

いわずとしれた、自然な呼吸だ。


ただし、現代人は「呼吸が浅い」とはよく言われるところ。本来―自然―の、人間の呼吸とはもっと静かで、ゆっくりとたおやかであり、深くて長いものなのだ。

 

意識的にゆっくりと、深く呼吸する必要がある。

 

それを習慣的に行い、ようやく「自然な呼吸」となる。これは精神を落ち着ける呼吸もある。よく人を落ち着かせるときに、深呼吸を促すが、同様の意味だ。

 

また主にパッシブメディテーションと呼ばれる瞑想のやり方においては、呼吸は腹式で、自然に任せることが多い。

 

ヘタに意識的な呼吸をするよりも自然に任せるわけだ。

 

深く意識が静まるほど、呼吸も深くなる。さらに意識が深くなっていくと、「胎息」と呼ばれる、静かで深い、まるで皮膚呼吸だけをしているかのような静かな呼吸に入る。ここまでくると、意識状態も深い瞑想状態へと入っている。

 

 

数拍の呼吸法(パターンド・ブリージング)


キリスト教神秘主義の神秘家「ダスカロス」が主に指導した。

 

意識的に数泊の呼吸で、下腹部、腹部中部、胸部へと伊吹(空気、生命力)が静かに満ちていくさまを意識する呼吸法だ。

 

まずは大きく1回で息を吸い、1回で吐く。それを規則正しく行う。


ここがスタートだ。なれてきたら、

 

胴体を4分割し、

4つ数えて下腹部から順次満たされていき、

4つ数えて吐き切る、

 

というイメージ行う。

 

さらに慣れてきたら、

7:7、あるいは8:8で

ゆっくりとしたカウントで

行うようにする。

 

自分に合ったパターンを選べばいい。ただし、5:5のカウントで行うと、精神に悪影響があるとされているので注意だ。

 

このように呼吸を意識的に行うことで、体の隅々まで、より深くエネルギーを行き渡らせることができる。

 

それはこれまで無意識的に健康管理を任せていた、「人体」のコントロールを担う霊的存在(大天使)との協働作業に意識的に取り組むことを意味する。人体とはまったくもって、聖なる神殿なのだ。

 

 

エーテルをためる呼吸法

その他、とりわけエーテルを取り込み、体内に貯めることに適している呼吸法があり、他の瞑想とあわせて行うことでよりよい効果が期待できる。

 

比較的ヨガ系の行法で多く、特定のエーテルセンター(チャクラ)の開発、活性化、浄化等を目的とするときに使用する。さらに慣れてくると、日々の生活を自然とそうした呼吸法で過ごせるようにまでなる。

 

ただ本稿では、直接指導下にないと危険性もまたあると考え、明記をここでは避けたい。それに正直言うと、慣れてくると実感としては、パターンド・ブリージングの効果と違いは感じない。今、おれ自身は、ほぼパターンド・ブリージングを中心に行っている。通勤電車など、ちょっとした時間中でも行いやすいしね。

 

 

気持ちを静めるマインドフルネス瞑想

昨今、ビジネスパーソンにも心身のリラックス効果の点から、マインドフルネス瞑想が注目されている。過緊張した精神状態をリラックスさせて解き放ち、ストレスフルなビジネスパーソンに対して、精神衛生上の効果が高いとされている。

 

 

マインドフルネス瞑想の効果


それは一言でいえば、精神をリラックスさせ、精神疲労から解放し、ただ在るだけで多幸感を得られる。

 

今」という瞬間に対して、一切の評価、判断を挟まないことで、気づきの状態(アウェアネス)へと至るとされる。このアウェアネス(の状態)を得ることが本来の目的だ。

 

しかし、通常人間は時間感覚があり、過去に囚われ、そして未来を心配する。心はいつも、過去か未来に向いてしまっている。もっと悪くというと、過去と未来に支配されて今を生きているんだ。心ここにあらずで生きているに等しい。

 

それは生きているといえるのだろうか?

 

マインドフルネスは、そんな状況にある自分の精神をいわば「今・ここ」へと連れ帰ることを意味する。主要な方法としては、上記にも出てきたパターンド・ブリージングを行うこととほぼ同じだ。

 

だが、違うのは、この呼吸それ自体に集中し、「今・ここ」にいるという「存在感覚」「肯定感覚を強くする。そしてとにかく一切の批判、判断をせず、何かに一点集中し、ただただ受容する。

 

だからここでは、呼吸を例にしたが、五感の何か別のものでもいいんだ。食事をしていれば、味覚に。歩いていれば、歩いているという身体感覚に。

 

ただ立っていても、カラダを支える足、あるいは足の裏。背骨なら背骨。日常の中、すべてで実感することができる。

 

するとどうだろう。

 

感覚がこの「今」に戻ってくると、日々の中で「気づき」(アウェアネス)が生まれる。たとえば、今日の出勤の道のりをすべて克明に思い起こせる人はいるだろうか。

 

昨日咲いていたが、今日は散っていた花に気付いた人は?

 

そう、人はうまりにも「今」から離れて生きてしまっているのだ。マインドフルネスを通して養われるアウェアネスは、心魂を今に連れ戻し、まるで「ゾンビ」のように毎日ルーチンで生きている人々を蘇らせるかもしれない。

 

概ねのところでは、

・リラックス

・集中力の増加

・自己肯定感


主にこのあたりを強化されるとされていて、現代人にはとくに向いている効果効用がある。グーグルが社内に導入したことで有名にもなった。

 

さらにスピリチュアルな文化への抵抗感がより減りつつある現代では、ビジネスパーソンを中心に広がりを見せつつあるようだ。

 

 

 

瞑想によって得られる効果の整理

 

と、ここまで、一般的な瞑想をざっと見てきた。改めて繰り返しになるが、瞑想とはなんだろうか。

 

瞑想の本質は、「神との一体化」に至るために「心魂」と「脳」の開発だ。チャクラと呼ばれる霊的機関の開発は、その結果論として生じる。

 

あるいは人格の陶冶、そして現在の人格自体を「永遠なる存在」へと近づけること。そのために必要な能力の開発。の「すべて」が瞑想だ、とも言える。

 

人によっては、「エゴイズム」の滅却がテーマになるかもしれないし、人によってはある種のチャクラの開発がテーマになるかもしれない。

 

あるいは心身の浄化や単なるリラックスがテーマとして相応しいレベルのものもいるだろう。それは個々の発達段階に応じるとしか言いようがない。

 

しかし、決して忘れてはならないのが、究極的には瞑想とは「永遠なる存在」へと近づく試みそのものであるということ。

 

その方向性を見失わないことを強調したうえで、具体的な効果について分類したい。

 

 

スピリチュアリティ(霊性)の向上


瞑想の内的効果に分類される。そしてより正確にいえば、それは「内省」というべきだろう。自分を振りかえり、自己分析を繰り返し、自己成長を促すのだ。

 

今の人格を永遠の人格へと近づけていくには、このような自己分析、そしてキリスト教のいう「悔い改め」が必要とされる。余談だが、痛みとしての「カルマ」は、この悔い改めによって、回避することが可能だ。

 

 

魂の進化

霊性の向上と同一の意味でもあるが、具体的なチャクラの開発によって、魂の機能(霊的身体)が向上し、霊的に進化することが可能といえる。

 

ときに単なる霊的能力それ自体が目的化されてしまい、誤解・御用されやすい瞑想の分野だ。

 

ゆえにここでは直接的な霊能開発に通じる具体的メソッドについての言及は避けたい。

 

 

心魂の浄化

心魂を浄化するとはどんな意味だろう。

具体的にいえば、低次元に波動する内面(自分勝手な欲望や利己主義、エゴイズム)を美しく向上させることを意味する。

 

自分の抱く欲望自体が、自分だけでなく、世界という庭園自体を美しくすることに貢献するものへと置き換えていくのだ。

 

自分の欲求が、世界と調和する在り方だな。自分は、自分の欲求をそのように高次化することは可能か?」という問いが、必然的に生じるが、たとえば薔薇十字瞑想では、そのような在り方を植物の生長のプロセスから学び取っていくようになっている。

 

もちろんこうしたプロセスは、気が遠くなる時間がかかるが、それが本当の「自己浄化」だ。チャクラクリアリングだの、ヒーリングでオーラをキレイにするなどいった小手先のテクじゃない。

 

そんなのがスピリチュアルというギャグは、20世紀で終えておいて欲しいもんだったが、21世紀前半、未だ健在らしいが。やれやれ。

 

 

最後に有名どころからマイナーまで


最後に安全で主要な瞑想の方法や効果、やり方についてまとめてみよう。

 

ヴィッパサナー瞑想~とても優れた「今・ここ」を体得させる「日常生活の瞑想方法」~

【概要と方法】

いま日本でもっとも有名な瞑想の方法の一つだ。もともとは物事をあるがままにみる、受けとめるという意味があるそうだ。元来はヨガの行法のひとつであり、

ブッダも取り組んだとか。

 

呼吸なら呼吸、呼吸のときに生じる身体感覚(腹部の動きとか)、そうしたものに「あるがまま」集中し、観照する。

 

その意味ではマインドフル瞑想に近い。(というより、マインドフル瞑想自体が、こうした伝統的な瞑想から派生したのだろう。)

 

そして30分なら30分、座したままの瞑想を終えたら、今度は立ち上がり、再び呼吸に意識を集中し、ただ歩くことに集中する。

 

このとき、心中に湧き上がる思いに対しては、よくも悪くもなく、ただ受け流す。

 

その意味で、身体の動きはあるが、大きなジャンルとしては、パッシブ・メディテーションの方法、やり方といえるだろう。

 

またヴィッパサナーを歩きながら行うことは、自分の身体性と「今・ここ」への存在感覚を強めてくれる。そして個人的にこの瞑想をとくに歩きつつ練習することは、「集中力」を高めてくれる、という点で推奨したい。

 

瞑想を練習していると思うが、すぐに雑念がわき、アクティブメディテーションにおいては、集中すべき視覚化内容から外れてしまう。しかし、ヴィッパサナーでは、「歩いている」「足裏を感じる」「ひざをあげた」「今、音がした」と淡々と感じた感覚を認識し、意識の中心点を自分に戻すことに徹する。

 

この「今、私は何を感じた」「今、私はこう感じている」「今、私のカラダはこうなっている」と認識を繰り返し、認識したらすぐにスッと次へと流していくことは、集中を乱す雑念、妄念を払うことに非常に適している。

 

「気が散る」というのは、言い方を変えると、このテのこのを学ぶにあたり、最も強敵な悪魔だと言える。対処するにはとても忍耐がいる。まさに、「気が散る」という悪魔を撃退するのに最適な方法の一つだ。

 

その意味で、「歩く」「日常をすごす」ということをとても高度な瞑想行にしてくれるのが、このヴィッパサナーの方法論といえる。

 

 

内観/内省

【概要】

就寝前などに、今日の一日を振り返り、自分の行動、言動、思考や想念をチェックする行法。自分も他者も責めることなく、客観的に自分を分析し、日々の行為を改めていく。慣れてくると、自己観察に熟達する。スピリチュアルな成長にもっとも大切な瞑想の一つだ。

※内省と内観は厳密には分けられるが、とりあえず本稿では同類として扱った。


さらに「内在するものを観る」ことについて熟達すると、我々は「自己」というパーソナリティを大きく進化させることに気付き、ここに「マスター」と呼ばれる階梯の入り口があることに気付く。

 

内観/内省としては、具体的には次のようなものがある。

 

■1日を順におっていく内省

このとき、考えるべきでないのに考えてしまったことは何か。すべきでないのにしてしまったことは何か。言うべきでないのに言ってしまったことは何か。と、自分の今日の一日の思考、行動、言葉の3点について振り返り、自ら問うて検討する方法。自分の内面世界を分析的に振り返るわけだ。

 

 

■逆観

映画の逆回しのように振り返っていく「逆観」と呼ばれる観察的内省方法。通常の瞑想が朝起きたときを起点にして始めるが、逆感想で行うと記憶力を刺激しやすく、記憶力も鍛えやすいという副次的効果もある。

 

 

■内観法

より長く、生まれてからここまでの人生を「お世話になったこと」「お返ししたこと」「迷惑をかけたこと」など、幾つかの質問を用いて見つめなおす内観法など、いくつか種類かある。

 

内観の前身は、浄土真宗系の信仰集団、諦観庵(たいかんあん)に伝わる「身調べ」という行法で、ここから宗教性と苦行性をなるべく排除し、心理療法的なメソッドへと進化させた。

 

一日単位で実施することも推奨しているが、道場等に一週間ほどこもり、外界との接触を断ち、これまでの人生をすべて振り返る内観法が知られている。そのさい、心理面の病状への効果も見られることで、医療行為の一つとして取り組む者も比較的多い。

 

 

これらの方法はいずれにしても、自分の行動や内面を注意深く観察、分析していくという点で通底している。

そしてとくにおれが推奨したいのは、一日を順番に追う内省であり、そのさいに、自分に問いを発しながら自己観察を行うものだ。

 

 

前出のダスカロスの推奨するものだが、

思ったり感じたりすべきでなかったことで、思ったり感じたりしてしまったことは何か?
思ったり感じたりすべきだったことで、思ったり感じたりしなかったことは何か?


言うべきでなかったことで、言ってしまったことは何か?
言うべきだったことで、言わなかったことは何か?


すべきではなかったことで、してしまったことは何か?
すべきだったことで、しなかったことは何か?

 

といった問いを自分に発しつつ行う。だが、決して他者はもちろん、自分に対しても非難したり、自己憐憫に陥ってはいけない。客観的な自己分析に徹すること。公正な眼で、自分の思考や言動を分析することで、霊性の向上を促してくれる内省だ。

 

 

探究者のエゴイズムを鎮め、霊性の発達に最も寄与してくれる行法といえる。

 

霊的な探求者は、瞑想もいいのだが、この内省こそがベースとならなくてはならない。とくに霊的な行法に熟練し、かつある程度霊的な力がついてくるのが分かると、容易にエゴイズムが肥大する。そのような事態を避けるうえでも、瞑想行に取り組む者には内省はマストといえる。

 

潜在意識をチェックしやすい、就寝前の5分~10分程度で行えばいい。

 

 

最も安全なチャクラ開発の効果のある行

そしてここで少し番外編になるのが、もっとも安全なチャクラ開発となる行について。

 

実は、一つは、前出の内省。もう一つが、「魂の6つの行」と言われているものだ。仏教でいうところの八正道と対比される、薔薇十字系の行なんだ。

 

八正道は、wikiさんによると、「八正道(はっしょうどう、巴: ariya-aṭṭhaṅgika-magga, 梵: ārya-aṣṭāṅgika-mārga)は、釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。」と記されている。

 

もっと簡単に言うと、「①自分中心の見方で偏らないこと。②怒りの心、我を押し通すことを鎮めること。③うそを言わない。④無意味な殺生や盗み、姦淫をしない。⑤世のため人のために働き、物品への欲求は正当な範囲にとどめること。⑥強い意志を養い、一途に努力しつづけること。⑦正しいを心を向けること。⑧周囲に流されず、自分をしっかり定めること。」というものだ。

 

実はこの内的(心的)バランス、成長が、結果として人のチャクラをもっとも安全に正しく開発し、美しく回転させる。思考、感情、意志、のバランス(魂の三大機能)が、そのまんまチャクラの状態と一致するからだ。

 

そこで薔薇十字系だと、「魂の6つの行」という具体的なレッスンによって、「思考、感情、意思」を単独、あるいは複合的に鍛錬する。その具体的な方法は、こちらの記事を参照して欲しい。「魂の6つの行」に関する記事一覧。

 

瞑想関係でチャクラの開発とその効果に関心がある人も多いようなので、触れておいた。

 

 

 

薔薇十字瞑想

【概要と方法】

薔薇十字瞑想とは何か。キリスト教神秘主義/人智学の神秘家ルドルフ・シュタイナーが、薔薇十字と呼ばれる神秘学派の導師として残した瞑想法。

 

同派におけるシンボリックで代表的な瞑想の方法だ。心魂の浄化と霊的感覚の開発の双方を目的としている。

 

 

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具体的には、次のように始まる。

 

まず、人間より低次元なはずの植物の生長過程を種の状態からイメージする。

 

植物の在り方、成長への「欲求」には一切の「自己中心的な」エゴイズムはない。

 

純粋に光に向かい、成長しようとしている。植物を流れる樹液は、まったく純粋だ。

 

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一方人間は、高次元へと進化し、赤い血液の流れに、欲望や衝動を受け止るようになってしまった。

 

植物と比較すると、深刻な感情も湧き上がるが、同時に失われた純粋な在り方を学び、取り戻すことができるという感情も湧き上がる。

 

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このとき、輝く薔薇をイメージする。植物の緑の純粋な樹液は、赤いバラの花弁を流れ、血液のように赤くなっても純粋だ。

 

人は純化され、この赤い樹液のような血液に霊的な意味で高め、自分の欲望や衝動を高貴なものにできると希望を受け取る。

 


そんな赤いバラを七輪、首にかける漆黒の木の十字架をイメージする。

 

漆黒の十字架は、低次元の欲望が根滅したさまを象徴する。

低次元の欲望が消え去り、高貴な衝動をもつシンボルが心魂にたゆたい、その波動が自身の心魂を霊的に成長させていく。

 

霊的で高貴な喜びが心魂に満ち溢れるまで、薔薇の十字架を内観し続けるのだ。

薔薇十字瞑想について、より詳細が知りたい方は、こちらの記事も参照してくれるとありがたい。

 

 

より秘教的な瞑想―シンボルや聖句―

上述の薔薇十字瞑想もそうだが、瞑想に特定のシンボルや幾何学的なシンボルをイメージし、波動をあわせ、心魂に霊的な力を作用させることで、己を高めていく行法だ。ある種類の聖なる言葉、マントラを心中で唱え続けていく行法などがある。


薔薇十字瞑想も、そんな聖句・マントラと最後は組み合わされることで瞑想の方法として完成される。

 

ここでの具体例として、その一部を記して終えたい。

 

宇宙の文字よ、

おまえの中、

七つの薔薇の星のなかに、

霊の七重の働きを、

黒い十字架のなかに、

生の暗い道を、

私は見る。

私はすべての中にいる。


私の自己が、

光と色を通して、

考え、感じ、意志する。

私は高次の自己の中に、

静かに安らう。


キリストの中に、

私の個我は安らう。

 

このようなマントラを瞑想の終わりに唱え、心魂に響かせるのである。

 

まとめ


以上が主要な瞑想の概論だ。

 


あくまでもキリスト教神秘主義の流れで学んだ、加藤夏樹個人による概論なので、知識や紹介の偏り等はあるだろう。

 

しかし、瞑想の本質的な意味と目的からは外れないように努めたつもりだ。

 

瞑想は、スピリチュアルに進化し、いつかは神へと帰還し、一体化するための行法だ。そのことの一端でも示せていれば幸いなのだが。

 

そこで最後に、放蕩息子」(聖書)の話で締めくくろう。

 

この話では、ある金持ちの父(神さま)がいて、その息子(人類)が父から財産(人が神の写し身として与えられた力)まで分け与えられて、飛び出したところから始まる。しかし、せっかくの外の世界でも、息子は建設的なことにろくに財産を使わなかった。

 

むしろ放蕩のかぎりをつくし、ブタのエサすらもろくに食べれない、絶望的状況になってしまう。そこでようやく、息子は我に返るんだ。

 

「ああ、自分は一体何やっているのだ」と悔い改める。「父のもとでは使用人ですら豊かであったというのに。さらに私は財産を与えられたというのに、少しもまともに使えず、身上をつぶしてしまった。愚かだった。父のもとに帰り、謝罪し、使用人でもよいので傍らにおいてもらおう」

 

と決意し、父のもとに向かった。すると、息子が帰ろうとしたそのとき、「遠いとこから」でも父は見つけて、駆け寄り、迎えて抱きしめるのだ。

 

「お父さん、私はもうあなたに息子と呼ばれる資格はありません。使用人でよいので傍らにおいてください」

「何を言うのだ。死んでいた息子がよみがえったのだ。これほど喜ばしいことがあるだろうか」

 

と父はいい、すぐに良い衣服をもってこさせ、宴の準備をし、永遠を意味する指輪をはめてやったのだ。

 

おれはこの話では、息子が正気に返り、「父の元に帰ろう」と歩みを始めたとき、まだ遠いところから「父がみつけ、歩み寄って抱きしめた」というところが美しく、気に入っている。

 

それは人が霊的に目覚め、自ら歩もうと決意すると、「父」は、もうそれだけで気づき、向こうから抱きしめるために手を差し伸べてくれることを意味しているからだ。

 

 

放蕩息子

これが、聖書でも有名な「放蕩息子」の話だ。何かしらの参考、インスピレーションになれば幸いだ。

 

自らの意志で歩こうとする魂の同胞に祝福を。

 

本記事が真理の探究者たろうとするあなたの少しでも役にたちますように。

 

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以上、長い記事を読んでくれてありがとよ。

 

 

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